錆びつく森

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act.1

written by  みや




1.





高層ビルの最上階広々とした豪華なオフィスで司は今度
買収する企業のファイルに目を通していた
経営状況から主要人物の人柄まで分厚いファイル1冊分
右下にサインを入れて決済が終わった分のトレイに投げ入れる




伸びをしながら振り返った窓の外は太陽がすっかり傾き藍と朱が
混ざり合った空に高層ビルが黒い柱のようにくっきりと浮かび
上がって見えた



空を見ながら思う事はいつも同じどこまでも続くこの空のずっと
向こうにいるつくしのこと




希望を抱いてきたわけじゃないでも着いたばかりのNYは
妬みや嫉み裏切りや策略で溢れかえり
信頼できる一握りの者を除けば敵と味方が常に入れ替わる


蔓延する腐敗した空気に嫌気がさしていた頃ふと見上げた
眩しい太陽につくしを重ね、自分だけの太陽を誰のためでもなく
自分の望む未来を掴み取るためここで頑張ろうと決意を新たにした



机の上に置きっぱなしだった携帯電話が鳴り出すと司の頬が緩む
手を伸ばしながら見た時計は18時36分いつも通りの時間




「よお、起きたのか?」



「あんたは仕事終わったの?」




自分の声と同じくらい耳に馴染んでいる優しい声
色んな理由をつけては滅多に電話してこないつくしに無理やり
携帯電話を押し付け毎朝起きたら電話しろと言ったのは3年半前



幾度かにわたった攻防戦の結果司が勝ちつくしが折れた
以来1日の中で唯一心から寛げるこの短い時を司は何よりも
大切にしていた




「まだ帰れねえな、お前は今日学校行くのか?」


「うんでも午後からだから午前中はバイト行ってくる
 月末休むぶん稼げる時に稼いでおかないとね」


「チケット届いたろ?あとはパスポート持ってりゃ充分だ」




司はつくしをNYに招いた、帰国まであと1ヶ月NYを去る前に
4年間自分が過ごした場所を成し遂げた成果を
いつも1人で眺めていたこの窓から見えるこの夜景をつくしに
見てほしいと思ったから




「そうだ道明寺、あたしエコノミーにしてって言ったよね
 なんでファーストクラスなのよ!1人でこんなとこ座ってたら
 落ち着かなくて疲れるじゃない」


「お前アホか?あんな狭苦しいとこ何時間も乗っててみろ
 窒息しちまうだろうーが」


「そんなこと言うのはあんたとその周りくらいのもんよ」




無料とかお得とかそんなもんが大好きなくせに変なとこで
遠慮するくせは昔から変わらない
このままでは平行線だと感じた司は新たな手に打って出た





「文句ばっか言いやがって・・それともお前何か?本当は
 来たくねーのかよ、それならそうとはっきり言え」


「そんなこと思ってない」




予想通りの反応に司の口元の筋肉が持ち上がる
ここで別の反応が戻ってきたら・・・・


再会の時まであと少し


















それから数日後5番街を静かに進むリムジンの姿があった
NYの5番街と言えば世界のブランドショップが軒を連ねる
ことで有名な場所
徐々にスピードを落としたリムジンは最高級宝石店として
名高い店の前に停車し、運転手が開いたドアから黒いスーツに
身を包んだ司が降り立つ




ぴったりと体にフィットした黒いスーツ
風に揺れる黒髪に野生動物のような黒い瞳
そこにいるだけで周りを圧倒するような威圧感



プライバシーを重視するこの店は中に入るのも予約制
忙しい合間を縫ってやっと訪れた司は予約などしていない
しかし司が迷いのない足取りで入り口に立った途端
司はスタッフによって中に招き入れられた





入ってすぐ目に付くのは玄関ホール中央生けられた生花
足元の大理石はピカピカに磨き上げられ
白を貴重とした店内は高級インテリアで統一されている
奥には宝石を展示するショーケース・・・




「ようこそ道明寺様、本日は何かお探しでございますか」




店内を観察していた司の前に白いスーツを着た背の高い女性が
滑るように近づいてきてにこやかに声をかけてくる



過去この店に来たことはない



しかしここは世界のVIP相手に宝飾品のレンタルも請け負っている会社
顧客になりえる重要人物は全て把握していて当然だった




「指輪を、婚約指輪を見せてくれ」




手はポケットに突っ込んだまま愛想のかけらもない
司に対し彼女はにっこりと笑うと奥の個室に案内した


明るく快適な空間来店した客は全て同じような個室に通され
他人の目を気にすることなくじっくりと商品を選ぶ事ができる



部屋に入ってすぐスタッフの手によって運ばれてきたのは
薫り高い紅茶とビスケットが乗せられたトレー
担当者が商品を準備する間、客を飽きさせないための演出





「いくつか条件に見合うものをご用意させて頂きました
 どうぞごゆっくりご覧下さい」




宝石商が運んできたトレイの上には様々な形にカットされたダイヤモンド
そのひとつひとつが放つ見事な輝きが最高品質である事を物語っている



誰でも迷ってしまいそうな素晴らしい指輪の数々
しかし司はトレイを一瞥しただけで迷わず1つを選び出した
手にしたのは大粒のダイヤにクラシックなカットを施した1点ものの指輪




「これをくれ」




店員に見送られながら乗り込んだ車の中司は刻まれた文字に
気づいた時つくしは一体どんな反応をするだろうかと考えて
いつになく幸せな気持ちで家路についた







2.





セントラルパークに面したフレンチレストラン
他の席から充分離れた席で男性がワインをすすりながら言った



「日本へはいつ帰国する予定なのかな」


「来月大学の卒業式が終わったら帰国します」



来月に迫った帰国に備え取引先や世話になった相手への挨拶回りに
忙殺されていた司だか今夜のようにわざわざ食事を共にする事は
めったにない




男性の名前はフランク・ロスマン

数年前道明寺と大きな取引をしてから懇意にしている会社の会長
司にとっても道明寺財閥にとっても恩人とも呼べる大切な人物





4年前、司の父が倒れたとき道明寺財閥に経営危機説が浮上

株価は下がり銀行や取引先までが冷たい反応をするなか
代理を務めていた楓も手を尽くしたが状況は変わらず
このままでは本当に経営困難に陥るのは時間の問題


そんな時フランク・ロスマンが道明寺財閥に協力を申し出た





アメリカでも1.2を争う大企業ロスマン社との提携が
決まった事で株価も信用も復活道明寺財閥は危機を脱した


ロスマンは何故か司をとても気に入ったらしく折に触れては
自宅や食事に招き様々なアドバイスを与えてくれた
そのアドバイスがあって今の司がある


以前どうしてそんなに親切にしてくれるのかと尋ねた司にロスマンは
懐かしそうに目を細め、暖炉の上に飾られた写真たてを見つめながら
ゆっくりこう言った




『私はね素敵な日本人を3人知ってるんだ1人は私の祖母
 だいぶ前に亡くなってしまったけど強くて優しい女性でね
 その祖母と同じ目をした女の子に何年か前に会った・・・
 
 君を見た時その2人と同じ目をしてると思った
 強い意志の力を持った瞳、真っ直ぐで純粋な黒い瞳
 君とならきっといい仕事ができると思ったんだ」



親に愛情を覚えたことのない司にとってロスマンは
友人であり父であり尊敬できるただ一人の大人だった



 



「娘の婿にも君みたいな男が欲しいもんだ、司君その気はあるか?」





チキンを口に運んでいた司はロスマンの唐突な申し出に
むせ返りそうになって慌ててワインで流しこんだ


ロスマンの娘とは何度か食事を共にしていた
環境を思えば笑う女だと言う印象を持っている






「いや・・・僕は」


「冗談だよ、いや君にその気があれば喜んで受けるけど
 知っての通り私には肉親と呼べるものは娘だけだ」




ロスマンは司に聞かせると言うより自分に言い聞かせるように
ゆっくりと静かに語り始めた







今や世界中に支店を持つまでに成長したロスマン社も
創設者(フランクの祖父)の時代には北米を拠点とする小さな会社だった


祖父母が心血を注いで作り上げたを引き継いだフランクの父が
アメリカ全土さらにヨーロッパに支店を広げその夢と会社を
息子であるフランクに委ねた


ロスマン社の歴史はロスマン家の歴史
父から息子そして孫へと受け継がれてきた夢と希望




「代々大切に守り育ててきた会社だから出来るなら娘に継いで
 もらいたいけど、あれは経営の事なんか覚える気もないらしい
 今、社長を任せている人間も切れ者なんだけどね」




ロスマンの隙を窺うようにいつも張り付いていた男の顔が
司の脳裏に浮かんだ


道明寺家に生まれた以上家を継ぐのが当たり前だと思ってきた
政略結婚も仕方ないと思ったこともある
でも自分の未来は自分で手に入れると決めたから今ここにいる


その夢の実現まであと1歩

突然『男』の話を持ち出したロスマンに司は疑念を憶えた
音を立てて置いたグラスの中のワインが大きく左右に揺れる






「政略結婚ですか?」


「娘の人生は娘が決めればいい、世襲制を守るために娘を使う
 つもりはないよ。あれは仕事は出来るが男としては・・・
 君なら両方合格だと密かに目をつけていたんだけどね」


「ありがとうございます、もったいない言葉です」


「で、本当のところはどうだい?」



今度こそむせ返った司を見てロスマンが声を出して笑った




「冗談だ・・・時代は変わった血縁者に限らず適任者に会社を
 委ねるのもひとつの方法だと思う・・・寂しいけどね
 まあ当分は私が現役でがんばるさ孫でも出来ればその子が
 継ぎたいと言ってくれるかもしれないしな」




ナプキンで口元を拭った司は恩人の晴れやかな笑顔に
つられ笑みを浮かべると深々と頭を下げて礼を述べた



「お世話になりました、NYには頻繁に来る事になると思いますが
 ロスマンさんも日本に来られたときは我家へ来てください」



「ああ是非寄らせてもらうよ、じゃあ元気で」



ロスマンが差し出した右手を司が両手でしっかりと受け止める
2人が連れ立って外へ出るとドアマンが駆け寄ってきて頭を下げた



「申し訳ございませんお車のご用意が出来るまで
 今しばらくお待ちください」



確かにいつもなら出ると同時に用意されている車の姿が今日はない
見れば入り口を塞ぐように1台のワゴン車が止まっていて
他の車が店の前までたどり着けずにいるのがわかった




「搬入の車か?」


「いえそうではないのですが、警備員が対応にあたって
 おりますので間もなく移動されるかと」





恐縮して何度も頭を下げるドアマンにチップを渡したロスマンが
すぐだから駐車場まで歩こうと司を誘う

年配者のロスマンが良いというなら司に不服はない
それこの貴重な友人と時間を少しでも長く楽しみたかった




「じゃ行きましょうか」




司が促し2人が歩き始めたまさにその時突然ワゴン車のライトが
点き2人の方に向かって凄い勢いで突っ込んできた



それは一瞬の出来事だった
鈍い音に続いて遠ざかるエンジンの音



両手をついて体を起こすと目の前にロスマンの姿があった
力なく横たわったその体から流れ出る大量の血が道路に
大きな赤い染みとなって広がっている

飛び起きて駆け寄った司の必死の呼びかけにも反応はない





「救急車だ!救急車を呼べ!!」




数分後到着した救急車に同乗した司は酸素マスクを
付けられ青白い顔をしたロスマンの手をとった

猛スピードで突進してくる車・・・
ぶつかる寸前この手に突き飛ばされたことを体が憶えている




彼は俺を助けるために・・・










to be continued...
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