錆びつく森

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act.4

written by  なお*なお




7.





白いベッドの上に横たわる、ロスマン氏の前に、
栗色がかった長い緩やかなウエーブをまとった髪を、
腰の辺りまで流している女性が座っている。
先日、入籍だけ済ませただけの、自分の妻になった女性。

彼女の肩に手を置くと、少しだけぴくりと動いて、
そのどこか虚ろな所在なげな瞳を、静かに自分に向ける。
自分と目が合うと、彼女の髪の色と同じ栗色の瞳が少しだけ揺れる。
やはり多少は、日本人の血が混ざっているのか、
全く人種が違う人間を相手にしているのとは違う。
この広い、長く暮らしていても、どこか完全には溶け込めない、
NYという街の中、ロスマン氏の回復をただ願うと言う共通点が、
今の俺たち二人を繋いでいるのだろう。

「ロスマン氏の容態は…」

俺が静かに聞くと、目の前の女性は黙って首を横に振る。
それは、今日一日何も変化は無かったと言う合図。

「マリ。行こうか」

彼女の肩に手を置いて立たせる。
本当はマリーと伸ばすはずなのだが、
幼い頃日本人の曾祖母に可愛がってもらっていたことと、
どこまでも日本びいきの父の影響を受けて「マリ」と、
日本語読みに読んでもらう事を、初めて会った時から彼女は望んだ。

初めて会ったとき、静に似てると思った、自分より2つ年下の彼女は、
いつも笑顔を絶やすことなど無かったのに、
今は見ていて気の毒なほど憔悴しきっていた。

おぼつかない足下を支えるように腕を伸ばす。
彼女は力なく首を横に動かすと、いつものベンチへと向かって行った。

二人で並んで腰掛けて、何をするでもなく、
時折自分が今日会社であった事とか、ロスマン社の様子を自分が報告するだけ。
それが、この結婚の<契約>の一つだから。

「報告ありがとう。ファイル…見せて。持ってるんでしょ」

近くにいるSPに目配せして、鞄を持ってこさせる。
そして、その中から分厚いファイルケースを取り出し彼女に手渡した。
彼女は黙ってファイルを開き、ページをめくって目を通す。

「うちの会社は…大丈夫よね」

「ああ」

彼女は一息つくと,ベンチの背もたれに体を預け、天を仰ぐ。

「父の事が落ち着いたら…私がちゃんと継ぐから…」



自分の父親が倒れたとき、自分には有能すぎる母や、
自分を手助けしようとしてくれた姉夫婦がいた。
その助けがあったからこそ、次期総帥としてやって来れたのだと思う。

でも、彼女には頼りになるべき肉親は父親一人。
その父親も、ずっと意識は戻らず助けはない。
この20歳過ぎたばかりの、しかも女性である彼女が、
あの巨大な企業を動かすと言った所で、一体誰がついて来ただろうか。
外部からだけでなく、内部までもがこの機会を逃すものかと、
彼女と会社を食い物にしただろう。

自分が彼女と結婚し、表立って会社を動かす事で、
ロスマン氏が倒れた事で出て来そうだった不穏な分子も、今はなりを潜めている。



「今日もアパートには帰らないのか」

入籍した時に、一応二人の新居としてアパートメントを借りておいた。
でも自分は仕事で忙しく、ほとんど会社か、会社の近くのホテルに泊まって、
そこには数えるほどしか帰っていない。
妻に関してはそのアパートに足を踏み入れてもいないようだ。
使用人からその報告を受けていた。

「自分が住んでたアパートに戻ってる。
 そっちのほうが、この病院には近いから」

「そうか」

「貴方には…悪い事をしたと思っているわ」

隣に座る彼女がぼんやりと空を見上げながら呟く。

「俺が自分で決めた事だ。謝罪される謂れはない」

その言葉に嘘はない。
もし自分があの時、無理矢理にでも諦めずに違う道を選んでいたら、
かつて自分が愛した人は、遠い国で自分を待っていてくれたのかもしれない。

でも、彼女は4年会わなかったのにも関わらず、
自分の瞳をたった一瞬垣間みただけで、
自分の心の奥底に悔恨の刻まれているのを、見抜いたのだ。


「契約…覚えてる?」

「ああ、あと5年はこの生活を続けるんだろ」

「父は…たとえ意識が戻っても、きっと元のように仕事はできない。
 あたしが貴方の妻ではなく、一人の後継者として認められるまで、
 貴方の力がいるの」

この結婚は、俺たち二人にとって、

また道明寺家とロスマン家にとっても、決して不幸ではない。

でも、幸せなものにも決してならない。


 
あの時「もう疲れた」と、泣きそうな目で必死に嘘をつく彼女を…。
それが自分を思いやるための嘘だと、分かっていながら自分は、
彼女を罵るような言葉を吐いて、最終的に切り捨てた。

もう、きっと会えない…。

彼女の笑顔の記憶は、もう夢の中ですら見れないのかもしれない。










to be continued...
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