螺旋模様

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act.6

※ 文中に於いて一部性表現を含む文章がございます。
   その点をご了承の上、閲覧に於いては自己責任でお願い致します。



written by  セイラ




12.
                    




「お帰りなさいませ、ソフィア様。お疲れ様でございました。」

「ただいま。司は帰ってる?」


「はい、お帰りになられて、そのままお部屋に入られました。」






そう、と答えながら、ソフィアは出迎えた使用人に羽織っていた薄手のストールを預けた。




長い廊下を、自室に向かって歩く。



司と結婚してから住むようになったこの屋敷に、まだ馴染めないでいる自分。
『若奥様』と呼ばれる事もあるけれど、使用人の多くは自分を名前で呼ぶ。
それはまるで、この屋敷に仕える者達が
他の誰かを迎え入れるつもりでいたかの様に不自然で、
皆は未だに自分に対して腫れ物を扱うかの様に接する。



司が学生の頃から想いを寄せる女性がいたことは、結婚前の調書で知っていた。
彼がその恋人との結婚を渇望し、自分の父と共に巻き込まれたあの事故は、
帰国直前の出来事だったという事も。




事故の後、自分がロスマン社を支えると言う司からの申し出を、ソフィアは何度も断った。
あれは事故だったのだからあなたにそんな責任は無い、と。
頼もしい言葉とは裏腹に、あれから彼の瞳に生気は無く、
以前まで威圧感すら漂わせていた圧倒的な存在感は、陰を潜めてしまっている。
そうさせているのが自分の存在である事に、ソフィアは胸を痛めていた。



けれどその頃、グループ会社の象徴ともいえる尊厳さをもたたえた父の元、
蝶よ花よと溢れんばかりの愛だけを与えられて育ったソフィアは、
経営に関してほとんど素人だった。


アメリカ国内でトップを争う業績を誇る大企業。
父が、自分が誇りにしていたそれが突然姿を変え、
巨大な怪物として背に圧し掛かってくる、押し潰されそうな程の不安。
強がりを言ったもののそれに敵うはずも無く、
結局、再三の彼からの申し出に首を縦に振ってしまった。




彼から敵意など感じない。
かと言って、愛情を感じる訳でも無い。
自分を見る瞳は、態度は、恩人の娘に対しての責任と義務。
時折見せる優しさは、同情。


それでも、彼と結婚出来た事が嬉しかった。




今や病床の身である父が元気だった頃、幾度となく聞かされた司の人柄は
自分の周りにいる同じ環境の人間と違い、とても魅力的なものだった。
どれだけその言葉が脚色されているのだろうかと
『お父さまは日本人びいきでいらっしゃるから』と適当に受け応えていたが、
父と共に会食の場などで司と同席し、折りに触れて言葉を交わすたび、
彼が差し引き勘定無く、自分の父親を心から尊敬してくれているという
真摯な姿に魅了されてしまった。





この人を欲しいと思った。

けれど、仕事をしている時の情熱的な様子とは裏腹に、
ふとした瞬間、彼の瞳はいつも遥か遠くを見つめている。
その先に居る『誰か』を知る事が怖かった。





先ほど見舞った父への懺悔の気持ちは心からのもの。
けれど、例え心から愛される事が無くても、
このまま少しでも長く彼の妻として側に居たい、というのも本心。
ここまで親身になってくれている彼をいつか解放してあげたい。
想い想われていたはずの司と、まだ知らぬ彼女の間を隔てているのは自分。



・・・・・自分はこんなに思いやりの無い我侭な人間だっただろうか。
彼の手を取るのは、自分では無かったはずなのに。







夜も更け、静まり返った邸内。
部屋に向かう廊下でも、エントランスで出迎えた使用人以外、誰にも会わない。

ソフィアは途中、ふと屋敷の中庭を見渡せる回廊で立ち止まり、
夜空に浮かぶ月を見上げた。




嫌な色・・・・・。
昨夜はあんなに澄んで綺麗な月だったのに。



ソフィアは美しく描かれた眉をひそめると、
上質な毛並みの絨毯に足音を響かせる事も無く、再び部屋へと足を進めた。







13.





何となく重い心を引き摺ったまま、ようやく西の角部屋である部屋に辿り着いた。



新婚生活は気持ちのいい朝陽を受けられる東側の部屋がいいと思ったのだが、
その部屋は、N.Y.に来た当初から司が自室として使っていた。
結婚を機に改装する訳でも無く、今ではそこは彼の書斎となっている。


何か思い入れでもあるのか、司は余程の事が無い限りその部屋に人を入れようとしない。
それは、打ち合わせに来る秘書とも別室で話すほどの徹底ぶりだった。



不思議に思って使用人に聞いてみたが、わからなかった。
いつだったか、司の母親、楓の第一秘書である西田に尋ねると少し困った顔をして、
『日本のお屋敷でも、司さまは好んで東の角部屋をお使いになっていらっしゃい
ましたから・・・・・』という返事が返ってきただけだった。








ソフィアは部屋の前でひとつ、小さな深呼吸をして息を整えた。
そしてそっと扉を開けると、努めて落ち着いた声で言った。



「・・・・・ただ今帰りました。・・・・・司、お部屋にいらっしゃるの?」



問い掛けに答える声は無く、広い部屋の中は静まり返ったまま。
仕事が残っていると言っていたから、きっとあの書斎にでも居るのだろう。

そう思ってため息をついたソフィアは、
ドレスを着替えようと続き間に設えられたクローゼットに向かった。



ブラウスにスカートという室内着に着替え、バスルームに向かおうと室内を横切る途中、
寝室の入り口である内扉が少し開いている事に気がついた。
扉を閉めるついでにちらりと中を覗いたソフィアは、小さく悲鳴を上げた。



「きゃ・・・・っ。」



中では、レースのカーテンをひいただけの暗い室内で、
ベッドに腰掛ける人影がひとつ。


徐々に暗さに慣れた目が捉えたその人影が司である事を知ったソフィアは、
もう一度小さく声を上げた。




結婚以来、司は大きなベッドがふたつ並べられた
二人のプライベートルームであるはずのこの寝室で眠った事が無い。
その多くはあの書斎の中の寝室だったり、会社の役員室に作らせた部屋だったり、
果てはメープルだったり・・・・・。


それが司が自分との結婚を心底受け入れていない事を思い知らされる、一番の原因。
大切にしてくれてはいるけれど、『妻』というのは上辺だけ。
実際、二人の間には、まだ夫婦としての繋がりは無かった。





司だとわかったソフィアは、安堵のため息を漏らすと扉を開けて部屋に入り、
俯いたままベッドに腰掛ける司の側に近づいた。



「驚いた・・・・・。どうかなさったの?お仕事はもう宜しいの?」



膝の上で両手を組んだまま身じろぎひとつしない司を不審に思い、
ソフィアはその足元に屈んで下から彼の顔を覗き込み、思わず息をのんだ。





・・・・・怖い。


瞳の色は澱み、その目はどこを見ているのかわからない。
これ程暗い表情の彼を見た事が無い・・・・・。



ソフィアはそのあまりの怖さに、思わず膝をついたまま一歩、二歩と後ずさった。
すると、突然司はソフィアの腕を強く掴んで立ち上がり、
その身体をベッドの上へと投げつけた。



「痛・・・・・っ。」



掴まれた時の勢いでボタンのひとつが弾け飛び、ブラウスの胸元が肌蹴た。
司は合わせ目を閉じようとしたソフィアの手を押さえ込むと、
反対の手でブラウスに手を掛け、残りのボタンを思い切り引き千切った。



すぐにシャワーを浴びるつもりでいたブラウスとスカートの下は、
上下の下着だけ。

フロントホックの止め具を力任せに外した司は、
獲物を捕らえた獣の様にその胸元に食らいついた。



「司・・・・・っ。・・・・・嫌っっ。」



夫婦なのだから、いつか・・・・と淡い期待は抱いていた。
初めての相手が司だったら、どれ程幸せだろうと思った。

けれど、これは彼では無い。
司は自分を愛して抱こうとしているのでは無い。




押し返そうとしても、か細い女の力で司に敵うはずが無い。


身体は、強くベッドに押しつけられたまま、
優しさも思いやりも無い、まるで怒りをぶつけるかの様な短い愛撫の後、
裏返された身体の背後から一息に貫かれ、ソフィアは引き攣った声を上げた。


けれどそんな嵐の様な時間の中で、
彼女は、司が何度も自分の聞き知らぬ女性の名前を呼ぶのを聞いた。




初めての痛みと心の痛み、そしてその女性への嫉妬に心を引き裂かれながら
司からの行為に翻弄される。




紅い月が、滲む視界の中で夜の雲に覆われてゆくのだけが、目に映った。







14.





翌朝、目覚めたソフィアはベッドに司が居ない事に気付いた。



女として、想いを寄せた相手の腕の中で迎える眩しい朝を夢見ていた。
けれど、愛の無いその行為は、何と虚しく寒々しかった事か。


温もりが残っているはずも無いシーツに手を伸ばしその冷たさを確かめると、
ソフィアはベッドにうつ伏せになって涙を流した。







その頃、司は書斎である東の角部屋で、
PCに送られてきた1枚の写真に視線を落としていた。

それからその写真をプリントアウトすると、しばらくソファーに座ったまま眺め、
写真を手にしたまま立ち上がって窓辺に佇んだ。



日本から送られてきたそれは、
つくしと清之助が赤ん坊を連れて散歩をしているところを写したものだった。





司は、手にした写真にもう一度視線を落とし、
「許せねえ・・・・。」と
唸るような低い声で呟くと、手の中の写真を片手で握り潰した。





自分の存在の為に、表舞台から追いやられた人物から命を受けた男が日本に
向かった事を、司はまだ知らない。
















「失礼、牧野つくしさんですか?」

「・・・・はい。えっと、牧野は旧姓ですけど・・・・あの、どちら様ですか?」


「あぁそうか、今は天草つくしさんでしたね。
 代議士である天草家のご長男と結婚されて・・・・・。」

「・・・・・主人は寿司職人です。実家を出ましたから。」



美夕を隠す様にしっかりと抱き直したつくしは、ゴシップ誌の記者の類かと思い、
相手を睨む様に見た。

そんなつくしに、男は片方の口元を上げて笑う。



「あなたも災難ですね。大財閥の跡取りと代議士の息子・・・・・。
 ややもすれば、人も羨むセレブの仲間入りが出来たのに・・・・・。」

「・・・・・何・・・・ですって・・・?」




男の言い含んだ言葉が示す名前に、つくしの強い瞳が驚愕と不安の色に変わる。

遠いN.Y.の司が、今、自分にどんな感情を持っているのかも知らずに。










to be continued...
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