螺旋模様

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act.7

written by  雪




15.





結局、つくしに近づいてきた不審な男は、
その意味ありげな言葉を言い残すと、
何事も無かったかのようにユラリと立ち去って行ってしまった。



つくしは、徐々に小さくなっていくその背中に一瞬だけ安堵するも、
あの男が与えてきた恐怖心は到底拭い去れるものでは無かった。



その日の夜のつくしは、何度と無く清之介と話してるさ中で、
「つくし、どうした?」と呼びかけられる場面があり、
その度につくしは、無理した笑顔で「何でも無いよ」と答えていた。



だが、明らかに何時もの様子と違うのに、
そんなつくしが言う、『何でも無い』という言葉を
鵜呑みにする程清之介も鈍い男では無い。



自分の腕の中で、ずっと愚図り続けるの美夕の事さえも、
今日に限っては然して気にして無い様子のつくし。



目の前の我が娘の事よりも、
もっと気になる事があるような素振りを頻繁に見せるつくしに、
清之介は幾度も首を傾げていた。






ようやく愚図るのにも疲れてきたのか、
美夕の泣く声がやがて途切れがちになり、そのうち静かな寝息を立て始めた頃、
清之介はベビーベッドの直ぐ側にある自分達のベッドの方につくしを呼び寄せ、
そのベッドの淵につくしを座らせてから改めて尋ねてみた。






「つくし、さっきまでずっと気になってたんだけど、
 今日のお前、相当おかしいぞ。何かあったのか?」




隣に座った清之介が、心配しながらつくしを見つめている。



その心配は、つくしにも十分伝わってはいるのに、
それなのにも関わらず、清之介に返す言葉は、
やはり、「何でも無いよ」という同じ言葉のみ。



たとえ、不審な男に会ったとは言っても、
たったそれだけの事で清之介に余計な心配を掛けるのが嫌だったのだ。



清之介の方にしたって、つくしの言葉など全く信じてはいなかったが、
つくしが『何でもない』と言うならと、敢えて何も聞かずにここまでは我慢していた。



しかし、そうするにも当然限界はある。



こうも同じ言葉ばかりを繰り返されては、
いよいよ黙っては居られなくなる清之介。






「何でもねぇ事はねぇだろ?幾らそうやって誤魔化したって、
 つくしのその冴えない表情見りゃ、
 何かあったなって事ぐれぇはお見通しなんだよ」




自分に正直に話してくれないつくしが腹立たしく、
その思いが故に、清之介の口調はついつい荒いものになった。



つくしはそんな清之介に少し怯るんだ目を向けたが、
別に、つくしを怯えさせる事が清之介の本意では無い。




ただ、本気で心配だから話して欲しいだけ。







「つくし、俺はお前が心配なんだ。
 つくしがそうやって何も言わないと、余計に心配なんだよ。
 だから、何か悩みがあるんだったら俺に教えて欲しい。
 どんな小さな事でもいいから、教えて欲しいんだ」





直ぐにさっきのは強く言い過ぎたと反省した清之介は、
今度は打って変わってとても穏やかな口調でつくしに言い募った。



つくしの中で渦巻く不安を、全て掻き消す様な、
とても大きな優しさに溢れた言葉。



それを聞けば、つくしにはもう、
清之介に黙り通す事など出来る筈も無かった。





「今日ね」





つくしはポツリポツリと、清之介に今日あった事を話し始めた。



あの男がつくしに言った怪訝な言葉も、
全てを清之介に向けて話して聞かせた。



すると、聞いてる清之介の表情は、当然と言うべきか徐々に曇り出し、
今度はつくしの方が心配してしまう程に
その口をしっかりと閉ざし、黙り込んでしまった。



つくしは、やはり言うべきじゃなかったと少しばかり後悔した。





「で、でもね。それを言ったらその男、黙って帰って行ったの。
 きっとさ、ただ有名な人達のスキャンダルとかに
 興味を持ってるワイドショー好きな人なのかもね」




そう言って、少しでもこの話題を軽くしようと試みても、
清之介の厳しい表情が何も変わらない事に、
つくしはその後悔の念を益々強くさせていく。




「つくし・・・」




清之介が急に重々しい声音でつくしの名を呼んだ。




「な、何?」



「その男、どんな男だった?」



「ど、どんな男って・・・」



「俺もその男の特徴知ってねぇと、お前を守れねぇだろ?」




あまりに真剣な清之介に、つくしは正直困惑していた。



確かに、先に思い詰めていたのはつくしの方だったのだが、
こうして全てを打ち明けてみれば、本当に今言ったままに、
あの男はただのゴシップ好きの男だったのかもしれないと思い始めたのだ。



だから、清之介をここまで深刻にさせて
とても申し訳ない気持ちになった。





「どんな男だった?」




清之介が繰り返しつくしに問い詰める。



つくしは「え、えっと」と言葉に詰まらせながら、



「せ・・・背は結構大きな人だったと思う。
清之介さんぐらいはあったかな?」と、何とか答えた。




「年はどれぐらいだ?」




答えた側からまた質問が飛んでくる。



もうこうなれば、つくしには
ただただ聞かれた事に素直に答えるしか無い。




「年は・・・あ、あたし達と変わらないんじゃないかな?」



「顔は?」



「そ・・・それは・・・
 サングラスしてたから良く分かんないんだけど、
 あ!でも、右頬に少し目立つホクロがあった」



「右頬にホクロ?」




つくしは頷く前に、もう一度、
本当にそのホクロの位置が右頬だったかを慎重に思い返した。



これだけ真剣に聞いてる清之介に、もし適当な事なんて
言ってしまったら、それこそ大事になってしまう可能性がある。



確かにあのホクロは右だったよね?



つくしは自分の中で確認し、それから「うん」と頷いた。




「他に目立つ特徴はあったか?」




「う〜ん・・・」




つくしは清之介の繰り返される質問に、
首を捻って思い出そうとしたが、
幾らそうしてもこれ以上は何も見つからず、
「他にはもう無いかな・・・」と、諦めて肩を竦めた。



「そうか・・・」



清之介は一つ頷き、



「今聞いた限りじゃ、
 どうも俺が知ってる人間の中には居ねぇみたいだな」
と、思案げに下唇をギュッと噛み締めた。



結局、その男の正体が誰なのかは分からないままで、
だからなのか清之介は、益々険しい顔をして、つくしを見やった。




「つくし、明日からはあんまり一人でウロウロしねぇで欲しい」



「え?」



「もちろん美夕と二人っきりってのも駄目だ」



「・・・・・・」



「なるべく誰かと一緒に居て、
 なるべく人気のねぇ場所は避ける事。いいな?」



「で・・・でも・・・」




つくしはこれには当惑した。



出かける時はなるべく誰かと一緒でと言われても、
買い物に出かける度に、いちいち誰かを誘う訳にもいかないし、
人気の無い場所は避けろと言われても、この家に向かうには
どうしても人気の無い場所を通らなければならない。



それなのに、果たして清之介の言う通りになんて自分に出来るのだろうか。



つくしにはとてもじゃないが自信が無かった。だが、




「ね、ねぇ・・・そんなに
 神経質にならなくてもいいと思うんだけど」




清之介に口答えしたら最後。




「だからおめぇは何時も何時も
 人に騙されて、とんだ目に遭わされんだよ!
 ちったぁ自分の危機感の無さを自覚しやがれ!このドアホ!!」





目をカッと見開いた清之介に
何時ものべらんめぇ口調でどやされ、
思わず身をちぢ込ませてしまうつくし。



清之介をここまで怒らせては、幾ら頑固なつくしでも、
「はい、分かりました」と折れるしかない。



清之介は、つくしが了解してくれると
直ぐに優しい顔になって言った。




「俺もなるべくこれから周りを気にしてみっから、
 頼むからお前も、ぜってぇ安全だと分かるまで油断しねぇでくれよな?」



「うん」




清之介は頷くつくしに穏やかに微笑み、
「つくし」と、少し照れたようにしながら聞いた。




「抱き締めていいか?」






つくしはほんの僅かに頬を火照らせながらも、直ぐに首を縦に振った。



清之介はそれを確認してから、ゆっくりと、
長い腕をつくしの細い体に回して、自分の胸に引き寄せた。



つくしは、清之介の心地よい温かさに包まれながら、
何故か涙の滲む様な切ない気持ちを抱いていた。



実はこんな気持ちになるのは、つくしにとって初めての事では無い。




つくしは人知れず自分をずっと責め続けていたのだ。




清之介は何時も自分の全部でつくしを大事にしてくれる。




それなのにつくしは、どうしても、
その清之介の思いを自分の全部で返す事が出来ないで居る。




理由は分かっていた。




何時まで経っても手放す事が出来ない、別れた男への未練・・・。




つくしはそんな自分に嫌悪さえ抱いていた。




清之介を完全に愛する事は出来ず、
愛せないくせに、清之介を頼ってでしか生きられない、この自分勝手な現実・・・
今は子供も居るというのに・・・。





つくしは何度も、こんな勝手な自分を切り捨てようとした。



切り捨てて、清之介を愛せるようになろうとし、
そして、清之介がくれる思いに自分の全部で応えようとした。



しかし、どうした事か、つくしの変えたい思いは、
まるでその場に根を張ったが如く動こうとはしない。



清之介は、つくしが絶対に口にしようとはしないその本音を、
もうとっくに感づいていた。



だからこそ、つくしを抱き締める、
たったそれだけの行為でも確認するのだ。




『抱き締めていいか?』と、何時だって、必ず。




つくしに申し訳無いと思いながらも、
この愛しい存在を抱き締めずには居られない清之介の心境もまた、
つくしと同じように重い辛さがあった。



つくしだってそれが分かるから、
決して清之介の腕に抱かれる事を拒否はしない。




抱き締められるだけではなく、抱き締め返す事だってする。




抱き締め合いながらも、お互いのその辛い胸の内は、
決して言葉では明かそうとしない今日までの二人。




言葉で明かせばきっと、この距離が遠退いてしまう。




それを何よりも恐れるからこそ、
敢えて二人は言おうとしないし、聞こうとしないのだ。







つくしは薄暗くした部屋のベッドの中で、
何時も何時も願い続けていた。



どうかこの人を、自分の全てで愛せますようにと。



目を閉じて、直ぐ傍にある清之介の存在を心で確かめながら、
意識の限界まで願い続けていた。




清之介を愛せますように・・・




清之介を愛せますように・・・












夫婦でありながら、触れる事に不自由を抱いた男女が、
海を越えたこの場所にも一組ある。




が、その両の夫婦は
こんな異様な状況は、我が身の上だけにあるのだと信じ込む。




だから生まれる、寂しさと、不安と、嫉妬と、憎悪。




だけど、神は教えない。




未だに思いを寄せ合う別れた者が、
今とてもよく似た境遇に居るのを知っていても、





神は真実を教えない。





それはまるで、





己の望む運命は、





己の力で引き寄せろと云わんばかりに・・・。










to be continued...
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