螺旋模様

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act.9

written by  日向




19.





平日の朝のオフィス街。朝方の雨も止み、雲の隙間から光が眩しく漏れている。
行き交う人々の流れもその多さも全く関係無いかのように
ただひたすら突き進む清之介の姿があった。

今、目の前には道明寺グループ日本本社ビル。
重々しくどこか冷たい感じのするそれを見上げる。
後ろから当たる午前中の太陽光が輪郭をぼやかして、
全体を見ることが出来ないその建物の様子に今まだ何も見えていない事実を重ね、
それから清之介はきつく拳を握った。
追い返されるかもしれない。真実を知ることは出来ないかもしれない。
けれど会わなければならない、事実を訴えなければならない。
臆することはない、全ては愛するもの達を守る為に、と清之介は自分に言い聞かせ
要塞のようなビルへと入っていた。



開かれた自動ドア、清之介の目の前にはすました受付嬢がふたり並んで座っており
早歩きでそこに向かうと受付のカウンターを両手で叩き付けた。



「おい!道明寺司はいるか?!」



声の大きさと乱暴な振る舞いに受付嬢はふたり同時に驚いて
顔を強張らせたが、すぐさまマニュアルどおりの受け答えを始める。



「総帥はまだ出社されておりません。失礼ですがどちら様でしょうか?
 アポイントメントはございますか?」

「しゃらくせぇ!とにかくヤツに会わせろ!」

「ですから総帥はまだ…」



いつまでも続きそうな押し問答と清之介の形相にただならぬ気配を感じた
もうひとりの受付嬢が受話器を取ってコソコソと連絡すると
どこからともなく黒ずくめのSPらしき人間が数人やってきて
清之介を取り囲んだ。


「お客様。総帥はお約束のない方とはお会いしません。
 アポイントメントをお取りになって、後日改めてお越し下さい。
 ですから今日はどうかお引取り下さい」


いかつい男が威圧的に言うも清之介は全く臆せず、会わせろ、
と言い張るばかりで、するとSP達が清之介の体をがっしりと掴んだ。



「お引取り下さい」


ビルから引きずり出そうとするSPと必死でもがいて自分の体を掴む手を
振りほどこうとする清之介。



「離しやがれってんだ!」



清之介の必死の叫びが木霊するエントランスに緊張が走った。
居合わせた社員たちが整列すると、自動ドアが静かに開く。
そこにいたのは何人もの人間を従えた道明寺司、その人だった。





現れた司に意識を遣った為か、清之介を掴むSPの力が少し緩んだ。
その隙をついて清之介が彼らの腕を振りほどくと
一直線に走り、司の胸倉をいきなり掴んだ。



「おめぇ…何てことしやがったんでぃ!」



暫くは清之介に至近距離で睨まれていたものの司は至って冷静で、
心配する秘書たちや社員をよそに清之介を突き飛ばした。
緩んだネクタイを直しながら、突き飛ばされた勢いで尻もちをつき
床に座り込んでいる清之介を見下ろした。



「何しに来た?」

「おめぇにどうしても聞かなきゃなんねぇことがあってよ。
 じゃなかったら誰がこんな所、好きこのんで来るかってーの!」


言いながら立ち上がり、清之介は司を鋭く睨んだ。
固く握られた拳は今にも司を殴りつけそうだったが、
それを必死で抑えているらしく細かく震えている。


「ご挨拶だな。とにかく、天草家の人間なら話を聞いてやってもいいが
 あいにく一般人の相手をしているほど暇じゃないんでね」


冷たくそう言いながら秘書の口から滾々と語られるスケジュールに
耳を傾けている司は、立ち尽くす清之介の横を素知らぬ顔で素通りする。
背中合わせになった二人の間に相容れぬ感情の、それから温度差が生じている。
怒りに熱くなる一方の男と冷たさに徹するだけの男。
熱と冷がちょうど中間地点で交わった時、清之介の口から事実が伝えられる。



「美夕が…俺たちの娘が誘拐されかかったんだぞ!」



その言葉に立ち止まった司と、振り返った清之介。
微動だにしない司の背中を見つめ、返って来るだろう言葉を待つも
それはやはり冷たいだけだった。



「それで?犯人を突き止めて欲しいのか?
 …そうか。そうだよな、お前はもはや権力を使える人間じゃ…」



司がそこまで言うと上から怒号が重なる。



「見つかった美夕の傍に道明寺グループの社章が落ちてた。
 関係ないとは言わせねぇぞっ!」



それでも反応を見せない司だったが、横にいた秘書に


「会議を1時間遅らせる。重役たちには上手く言っておいてくれ。
 それから15分後に彼を部屋に通すように」


と言って、清之介に見せていた背中を更に遠ざけた。









20.





きっかり15分後、最上階にある部屋に通された清之介は
いかにも高級そうなソファに司と相対して座っていた。



「コーヒーがいいか?それとも…」

「のんきに茶なんか飲んでられるかってんだ!」

「お前の娘の誘拐に俺が関係してるとでも言いたいのか?」

「あたぼーよ。じゃあ何でおめぇんちの社章が落ちてたんだよ?!」



大声を出したからか、それとも怒りゆえなのか肩で息をする
清之介を尻目に煙草に火をつけた司が妙にゆっくりと煙を吐く。



「もし関係があったとしても、何で俺がお前ンとこの子供を
 誘拐しなきゃなんねぇんだよ」



ドアがノックされ、それから秘書が2人分のコーヒーを置いて前室に下がる。
それを見届けると司はコーヒーに口をつけ、
一方清之介は訝しげに司を見た。



「おめぇ…知らねぇのか?」



何を問われているのか、司にはよく分かっていた。
それから静かにこう答える。



「お前とアイツが結婚して、子供がいる位、知ってるさ。
 仮にもお前は天草家の人間だったんだからな。そういう情報は入ってくる」

「ついこないだまでNYにいた人間がか?
 お前のこったから、調べさせて、それで腹いせに…!」



清之介がテーブルをバシリと叩く。
カップに注がれたコーヒーが波打ち今にも零れそうだ。
仰々しい状況に司は怖気づくことなく、また煙草をふかし
やる気の無さを煙と共に吐き出した。



「くだらねぇ。ウチの社章をつけている人間がいくらいると思う?
 日本だけでもン千人だ。なのに俺を犯人と決めつけんのか?
 社章なんて盗もうと思えば盗めるもんだろ。
 それに俺はこうして社章をつけてるだろーが」

「それこそどうにでもなることじゃねぇのかってんだよ!」



激高する清之介。
それとは対照的に相変わらずの司は煙草を消してソファから立ち上がると
仕事用のデスクに向かい、秘書によって置かれた
手紙やら資料に目を通し始めた。



「疑うなら疑え。とにかく俺はお前らの子供がどうなろうと
 知ったこっちゃないし、興味もない」



心ここにあらず、弁解の余地すらないと言った感じだろうか
こんな風に言う司に、清之介の感情は怒りに熱くなるばかりだ。



「つくしの子供だぞ!お前があんなに…」

「黙れ!」



つくしの名前が出た途端、声を荒げた司。
その表情にさっきまでの冷静さは皆無で、眉間に皺を寄せ
目は怒りに震えて、読んでいた書類を清之介めがけて投げつけた。



「だからこそ知ったこっちゃねぇんだよ。
 別れた直後に他の男との子供を孕むような不潔な女のことなんて…
 ましてやその子供に何の義理があんだよ?え?!」


こう言いながら清之介ににじり寄る司。
仕舞いにはさっき自分がやられたように胸倉を掴む。
清之介も負けじと司の顎を掴んで、その手に思いきり力を篭めた。



「てめぇだって結婚したじゃねぇか。人のこと言えんのか?
 この口で言えるのかってんだ!」



清之介の胸倉を掴んだ手を離し、
自分の顔を歪める手を払いのけた司は不可解で不敵な笑みを口元にたたえ、
清之介に背を向けてデスクに向かい、立派過ぎる椅子に深く腰をかけた。
そしてしらっとした視線を清之介に遣った。



「否定はしねぇ。だけどな、子供がすぐ出来るなんて
 そんなヘマするほど俺はバカじゃねぇってことだよ」

「何だと?!」



火をつけようとした煙草を司の手から奪い、投げ、
清之介はデスク越しにまた司の胸倉を掴んだ。
けれど司はもう激高することはない。



「話はそれだけか?」



冷たく言って、受話器を取るとなにやらぼそぼそと話し始めた。
それは本当にひと言ふた言の短さで、司が受話器を置いてすぐ、
さっき清之介をビルから連れ出そうとしたSP達が部屋に入ってきた。



「さ、天草の元お坊ちゃまがお帰りだ。丁重にお送りしろ」




SPが清之介を羽交い絞めにし、部屋から引きずり出そうとする。



「まだ話は終わってねぇ!」



もがく清之介。その度に彼の体を掴む手に力が入って
ぎりりと音を立てそうなくらいだ。
なおももがき、どうにかSP達を振りほどいた頃には
司のデスクからは遠くにあるドアの前にいた。
そのまま清之介はこう叫んだ。



「もしかしたらなぁ!」



既に視線を書類に落としていた司が見上げる。
けれどそこまで言って清之介は黙った。
口唇を噛んで何かを必死で堪えている様だった。
歯を食いしばり、ギュッと目を瞑って拳を握り
全身はわなわな震えている。
握った拳を自分の太腿に叩き付けると、小さく「ちくしょう」と言って
司に背を向け自らドアを開けた。



「邪魔したな」




閉じられたドア。何事も無かったかのように仕事に戻った司。
一方で、ちくしょう、ちくしょう、と何度も呟きながら
やりきれない表情で帰ってゆく清之介。





同じ女を愛する、或いは愛した男2人に
通ずる“何か”は存在しないのだろうか。
それは同じ女への想い故か。はたまた敵対心か。
それぞれが抱く感情は互いには分からない。
人の心など本人ですら分からない時がある、それが世の常だ。








21.





不安に駆られながら美夕を抱くつくしが
玄関のドアが開く音を聞いたのはお昼少し前だった。
急いで向かうと、笑顔の清之介がそこに立っていた。


「お、お帰りなさい…」


つくしはそれ以上の言葉を見つけることが出来なかった。
聞きたいことはあった。けれどそれを口にする勇気はなかった。
そして笑顔の清之介。何か妙なものを感じながら
つくしは清之介を迎え入れる。
ただいま、と言ったきり何も言わずにいた清之介が居間に座り
つくしの出した茶をずずっと音を立ててすすると、突然口を開いた。



「あいつんとこ、行ってきた」

「そ、そう」


それ以上は言えず、自分の湯飲みにも茶を注いだつくしは
清之介の口から語られるまで聞くまいと思っていたが
つくしが待つまでもなく、彼の口が再び、そして重く開いた。



「あいつ、俺らのこと知ってた」



こう聞いて、つくしは滋が司に話しただろうということに確信を持ち、
どこか居た堪れない気持ちになった。
それは話されてしまったことに対してではなかった。
何故彼女が話したのか、それは司を自分に振り向かせる為ではないのか、
たとえ彼が結婚していようと、自分と司とを繋ぐ全てが切れたことを
あえて彼に示したかったのではないか。
それ故の感情だった。



『司を好きなつくしが好き』


昔、そんなことをつくしに言った滋。
清之介と結婚したことを知って、滋は許せなかったのかもしれない…
つくしがそう思い始めると、今度は自分を責めた。
誰が悪いわけじゃない、全ての事象は自分のせいだと。



「どうした?おっかねぇ顔してよ」



ハッとしたつくしは自分の頬を手で押さえ、
今思っていた事を清之介に気付かれまいと無理に笑って見せた。



「それでよ…お前の言う通り、あいつは関わってねぇみたいだ。
 ハハ、だいぶ早合点だったな。
 ま、チャキチャキの江戸っ子だからよ、せっかちは売りモンでい」


ポリポリと頭を掻いて恥ずかしそうな視線をつくしに向ける。
そんな清之介を見てつくしは少し切なそうに笑った。
美夕はつくしの腕の中ですやすやと眠っていて、
そんな娘の頭を優しく撫でる清之介。
ふと、真剣な顔になった。



「とにかくだ、まだ油断なんねぇからよ、
 1人で勝手に出歩いたりしねぇでくれよな。気をつけて、な」



顔を強張らせて頷いたつくしが美夕を抱く手に
清之介は優しくそっと手を重ねた。
今この瞬間こそ安らぎの時。
だけれど、現実は不安の拭い去れない時間ばかり。








晴れていた空はいつの間にか黒く厚い雲に覆われて、
また泣きそうになっていた。










to be continued...
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