螺旋模様

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act.17

written by  桜くらくら




38.





デニス・スタントンはこの日を待っていた。

革新派の急先鋒と呼ばれ、どんなに業績を上げても、
守旧派のジジイどもに疎まれてきたが、今日でそれも終わるはずだ。

今日の取締役会で、ロスマン社に最も貢献してきたのが自分であることがはっきり示される。

自分が社長の座を降りてから、頻発する様になった製品の不具合。
品質管理に緩みが生じたのは、組織の長に立つ者が、
その立場に相応しくないからであると、だれもが内心では結論づけるだろう。
もちろん、ソフィアも。


会場であるレストランのVIPルームに赴くと、やや遅れて道明寺社長夫妻が
睦まじい様子で現れた。
そして、夫人の懐妊が発表され、その場にいる取締役達が祝福の言葉を掛ける。

道明寺社長は、その子が我が子であることを、微塵も疑っていない様だ。

………彼が疑っていないと言うことは、その可能性もあると言うことなのか?………

それでもソフィアは、間違いなく貴方の子だと言っていた。
まあいい。彼が自分の子と思っているなら、ロスマン家と道明寺家の財力をもって、
最高の環境で我が子を養育してもらうのも悪くない。




穏やかに、取締役会は始まった。
が、決して穏やかには終わらせない。

最近の社員の志気の低下が報告され、ついこの間までその様なことはなかった、
前社長は見事に組織を束ね、完璧な製品を世に送り出していたとの発言が
口火となった。

そう、そのために、親しい取締役達に根回ししてきたのだ。

守旧派の取締役がそれに反応する。古い考えに囚われた骨董品が…。

「私もそれなりに聞き取り調査をしてみた。
 製品の不具合は、外部から調達した部品の品質の低下に因るところが
 大きいのは周知だ。そこで、何故品質が低下したのかを問えば、
 それはここ数年の過度の成果主義が原因だと言うのが、現場の一致した意見だった。」

「しかし、成果主義を緩めた途端に製品に不具合が多発したのは事実です。」

革新派の一人が応戦する。全くその通りじゃないか!
勝敗は明らかだろうから、黙って成り行きを見守ろう。
自分の功績を自賛する訳にはいかないから。

「それは、数年来の無理がここへ来て綻び始めたのだと、私は思っている。
 性急な成果を強いる体勢は、社員に強迫観念を与え、組織を硬直化させる。
 皆、部下への要求を増大させ、そのしわ寄せは、外注先にと向かう。
 恫喝まがいの値引き要求や、無理な納期短縮もあったと聞く。
 それは、ロスマン氏が数十年掛けて培ってきた取引先との信頼関係を
 わずか数年で食い荒らしてしまったかの様だ。
 この綻びは、一朝一夕には修復し難いものだと私は危惧している。」

守旧派の精神論はやはり時代遅れだ。
企業の存在意義は利潤の追求なのに、下請けに気を遣ってどうするんだ!

「それは、敗残者の嘆き節ですな。多くの者は強制されなければ努力をしません。
 社員として、取引先として、ロスマン社に関わり続けたいのであれば、
 努力して頂かなければ困るのです。努力を怠って、品質の低下を招きながら、
 それは過度の要求のせいだと申し開く様な者は、我が社には必要ありません。」

その通り!優秀な企業人は冷徹にならなければ!

「強迫観念や不安の中では、良いアイデアも生まれないし、正しい判断もできない。
 何より仕事が楽しくない。そんな会社を、フランク・ロスマンは理想と
 していなかった。」

ふ、語るに落ちたな。遊びで仕事をやってもらっちゃあ困る。
説得力に欠けると自覚して、会長の名を持ち出すなんて、守旧派の断末魔の様だな。

坊ちゃん社長は一切発言をしない。
自分の能力がここで問われている自覚はあるのだろうか?



秘書が息せき切って駆け込んで来た。喘ぎながら報告をする。

「済みません、今連絡が入ったのですが、
 我が社の取引先であるT社の工場が焼失して、部品調達に支障が出る見込みです。」

「T社と競合する部品メーカーはリストアップしてある。
 それ程影響なく事態は乗り切れるだろう。焦らなくていい。」

私が秘書にそう言うと、道明寺坊ちゃん社長が口を開いた。

「T社って言うのは、ロスマン社とどういう関係なんだ?」

若造が横柄な言葉遣いしやがって!

「かつては子会社でしたが、現在は資本関係はありません。
 ただ、100%我が社からの受注で営業してきた会社です。」

「何故切り離したんだ?」

「他社と競わせて、営業努力を引き出すためです。
 子会社だった頃は、健全な市場原理が作用していませんでした。
 資本関係がなくなってからの方が、格段に部品調達費が低く抑えられています。」

「お見事ですな。」と親しい取締役が口を挟む。
「スタントン前社長の英断により、今回の損害は我が社が背負わなくて済みました。
 リスクの切り離しが功を奏した訳ですね。」

素晴らしいタイミングだ。その場にいた者達が、拍手で私を讃える。

勝負あったな!
坊ちゃん社長、ご自分の能力がデニス・スタントンに遠く及ばないと、
はっきり自覚されたでしょう?!




「で、従業員数は?」と、尚も坊ちゃん社長が訪ねる。

「恐らく五百人ほどと思われます。」

彼は秘書を呼んで指示を出した。

「T社の損害額と再建に必要な金額の調査をしてくれ。
 必要であれば資金提供すると伝えて…。
 従業員の雇用を守る方向でT社との協力体制を敷いて欲しい。」

「道明寺社長!
 独断でその様なことは…! 会社は貴方の私物ではありません!」

革新派の取締役が冷静に諌める。
そう、この勘違い坊ちゃんの暴走をくい止めなければ、
ロスマン社はあっと言う間にやせ細ってしまう。

「もちろん、取締役会には諮る。
 しかし、ロスマン社としてのT社救済が無理なら、私の個人資産を提供する。
 どっちにしても調査は必要だ。」




守旧派はこういった臭いパフォーマンスが好きだ。
呆れたことに、社を挙げてT社を支援することが決議されてしまった。
こんなデタラメがまかり通ってしまう社の現状では、ロスマン氏に
合わせる顔がない。







39.





ソフィアは取締役会の成り行きをただ見守っていたが、
夫の行動は理解しがたいものだった。

帰りのリムジンの中で、夫に問う。

「司、どうしてT社救済を言い出したの?」

「だって、フランク・ロスマンならそうしただろ?」

「何故そう思うの?」

「お義父さんは、日本びいきで、俺より日本の諺に詳しかった。
 俺にもいろいろ教えてくれたけど、中でも好きなのは、
 情けは人のためならずだとおっしゃっていた。
 偽善的に聞こえる言葉だが、ビジネスでは紛れもない真実を言い当てているって。
 実例いくつもを挙げて教えられたんだよ。」

司はそう言ってソフィアのお腹を見詰めた。

「俺は、お前の腹の子に、出来る限り良い状態の会社を引き継がせたい。
 フランク・ロスマンが復帰するまで、そのために全力を尽くすのが俺の務めだ。」

「だって、司、この子は……」

「お前が産む子なら、父親が誰であってもロスマン家の正式な跡取りだろ?
 まあ、本人がそれを望まなければ、他の道も模索してやらなくちゃなんねーけど。」

「…司……。」
ソフィアの目に涙が浮かぶ。

「俺は立派な夫じゃあない。お前にはひどいことをしたと思っている。
 だけど、お前とお前の子の幸せは、心から願っている。それだけは信じてくれ。」

夫はバカではなかった…。いや、本当の大バカなのかも知れない。
父への恩義だけで、面倒な仕事を引き受けて……。


やはり、お父様が復帰されたら、司は私の許を去るつもりでいる。
私が働いた不義が、それに口実を与えてしまった。
もうこの人は、私を愛していないことを隠そうともしないだろう。

……幸せから取り残されてしまった様に感じるのは何故…?
私には、デニスがいるのに…。






取締役会の日以来、ロスマン社の社会的評価が上がって行く。

情けは人のためならずと言うのは本当だった様だ。

T社再建をロスマン社が全面的にバックアップすると言うニュースは、大々的に
報じられた。
それは、ロスマン社と他の取引先との関係まで好転させ、交渉がやりやすく
なったと報告が入る。
信頼関係が回復し、ロスマン社の受注をこなすための設備投資を取引先が
惜しまなくなった。
そして、いつしか、製品の不具合も激減した。

道明寺司は、稀代の経営者として語られることになる。


その結果に、デニスは苛立ちを隠さない。

「ソフィア、あれを実力と思ってはいけないよ。
 金持ちだから出来るパフォーマンスなんだからね。」

司の手前、会うことはままならず、専ら電話でのやり取りになってしまったが、
話すたびに司への不満を漏らす。

連日、司を賞賛する記事が書き立てられ、
連日、デニスの機嫌は悪化していく。

「結果的には僕らの子どものために歓迎すべき状況なんだから構わないけど、
 こうなったら道明寺司に持てるもの全て吐き出させようか、
 可愛い子どものために。」

優しい口調の中に、ソフィアは少し恐怖を覚える。

「ねえ、ソフィア、絶対に、その子がご主人の子じゃないことを悟られてはいけないよ。
 それを知られたら、君も子どもも安全じゃいられないから。」

「でも、デニス、司は……」

「大丈夫だよ、ソフィア。彼は気づきはしない。
 その子には両家の富の全てが受け継がれなければならないんだから。
 安心して、僕が邪魔者は必ず排除するから。
 いいね、ソフィア、表向きは円満な夫婦を装うんだよ、
 君ならきっと完璧な妻を演じられる、解るね、ソフィア。」

…壊れている。……怖い。何をするつもりなの…?

何故気付かなかったんだろう?
デニスは思い通りに動かせなかったものは、全て許せない人だったのに。

デニスは司を賞賛したマスコミを許さない。
社長の座を奪った司を許さない。
司の生を受けた子を許さない。

……そして私も……。
もしデニスの意のままに動かなければ、デニスは私を許さない。
生まれてくる子が我が子でないと司が知っているとデニスが知れば…。

…怖い…。

通話が切れたあとの受話器を握り締め、
ソフィアは底知れぬ恐怖と戦っている。




使用人が来客を知らせて来た。
司の友人だと言う。

完璧な妻として応対しなければ……。
そうしないとデニスは私を許さない。
…怖い…。







40.





あきらはずっと司のことが気になっていた。

遠巻きに見たロスマン社社長就任パーティー以来、何の音沙汰もない。

N.Y.出張のついでに、会いに行こうと決めた。
今更ではあるけど、ささやかな結婚祝いを携えて。

つくしのことを忘れたわけではないが、司とつくしが選び取った人生なら、
どちらも幸せを掴んでほしい。
いつまでも、友人達からの祝福も聞かされないでいるのは不自然だろう、と。

司にも会いたいが、その美しい妻にも挨拶したかった。
経営に携わる者なら、誰もが神の様に憧れる、フランク・ロスマン氏の娘。

学生時代、司がフランク・ロスマン直々にビジネスの薫陶を受けていると聞き、
羨ましく思ったものだ。

「猫に小判じゃん!」「馬耳東風だよ!」などと類と言い合ったりもした。

司が、つくしを手離してまで守ろうと決めたその令嬢には、
何が何でも、幸せでいてもらわなければならない。

そうでなければ、つくしと司が払った犠牲も、仲間達の苦い思いも報われない。





土曜日にN.Y.の道明寺邸を訪ねたが、司は仕事に出ていると言う。

土曜日まで仕事か…。
まあ、約束して来た訳ではないから、会えなくても仕方ないが。


応対に出た司の妻は、妊娠している様だった。

………なんだ、あいつ幸せなんじゃん、司が牧野以外の女と平和に暮らせるかと
思ったけど、余計な心配だったか…。


自己紹介し、他愛ない会話を交わしながら、相手の顔色の悪さに気付いた。
必死に平静を装い、自らを奮い立たせている様だ。

「大丈夫ですか? 体調がお悪いならもう休まれた方が……。」

ふらつく彼女に手を差し伸べる。

「……大丈夫です、しっかりしなくちゃ……」

そう言いながらも彼女は崩れ落ちそうになり、あきらは慌てて彼女を支える。
気丈に意識を保とうとしていたが、やがて、彼女の身体から力が抜けていく。


あきらの腕の中で、意識を失いながら、ソフィアは何か呟いた。


「……怖い……守って……司さんの子………デニスが……」










to be continued...
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