螺旋模様

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act.20

written by  K's Apple




46.





「おまえがおまえの立場で色々と苦労してるのはわかるけど、
 でもおまえらのやったことで、誰一人として幸せに成った者がいないって気がする。
 おまえにしろ、牧野にしろ、ソフィアっておまえの奥さんも。・・・それに天草も。」

類は、去りがてにふと振り返ると、そんな言葉を残した。



不意打ちを食ったように、俺はそれまでの冷静で淡々とした姿勢を崩しそうになった。
全てを見通すようなこの親友の瞳を見ていることなんかできずに、俺は視線をそらしていた。




「別に、やりたくってややこしくしてるわけじゃ、ねーよ。」と俺は言った。
「誰もが、自分の場所ですべきことをしようとしている。
 今は、それしか言えねーな。」

「そっか。・・・そうだよね。」類はそう返事しただけだった。

いたずらに、感情に身を任せて行動することなど、許されない。
俺が、自分でソフィアとの結婚を決断した。 
それに俺にはまだ、ここで片付けなきゃならねー問題がある。


しかも。
結果的に複雑な運命の渦に巻き込んじまった、牧野と天草についても。
生まれてきた美夕についても。
いま俺が騒ぎ立てると、誰もに尚一層の危険が降りかかるばかりだから。


類の姿がドアの向こうに消えてしまってから、俺は初めて深いため息を落とした。
押さえ込んでいる俺の意思に反して、どうしても心の隅にしまって来た
感情がよみがえる瞬間がある。



牧野。・・・俺は、なんつーことをしちまったのか。

あの時。俺達には別れること以外にないのだと、それがはっきりしすぎるくらいに
見えてたっていうのに。
涙をこらえたままで俺を見上げた牧野。

「何も言わないで」とあいつはその細い指で、俺の唇を塞いだ。
どうすることもできない激しい感情が湧き上がり、二人の理性を狂わせていた。



朝が来れば別れることがわかっていたのに・・・、構わずにお互いを求め合ってしまった。
余計なことはもう、何も考えられずに。

・・・こんなに後悔することになるとも知らずに・・・





思いを振り切るように、俺は煙草をひっつかんだ。
類の話を聞くまでもなく、デニス・スタントンとは早晩決着をつけなくてはならないようだ。
ソフィアが漏らしたという言葉を待たずとも、ソフィアとデニスとの「関係」に
たどり着くのは、ある意味容易だったのかもしれない。

そして、この時期を捉えたかのような、ソフィアの妊娠。・・・
類達の「憶測」もあながち間違ってるとは思えなかった。


もしデニスが真に信頼できる男だったなら。
フランク・ロスマンが自分の生涯を捧げて発展させてきたこの会社を、
任せるに足る人間だったなら・・・
俺は、即座に地位を明け渡してでも、ヤツに将来のロスマン社とソフィアの
幸せを託すことだって考えたかもしれない。

だが、次第にデニスの本性が明らかになった今、ここで俺が
ロスマン社のために決断すべきは、まったく別の道だった。




俺は、立ち上がると秘書を通じて、取締役の一人であるイゴールを呼ぶようにと命じた。
ロスマン社内部で、守旧派と革新派が無為に対立を繰り返していた間、
そのどちらかに肩入れをすることもなく、自身の担当である技術開発への
貢献に力を注いでいた男。

彼は、現在の職務を通して、ロスマン社の将来に向けた強みも弱みも、また弱点に
ついてはどこを補強すれば、成長戦略が築けるかを完璧に理解しているのだろうと。
そんな気がした。







47.





清之介さんが今日に限って自分の大切な七つ道具の入ったバッグを置いて出社して
しまったので、あたしは急いでそれを届けるために、家からすぐ近くにある
カメリア・ホテルの厨房に向かうところだった。
こっちでは勝手な一人歩きは許してもらえないので、ホテルのエントランスまで
車で送ってもらう。




「ねえ、すっかり首もすわってきたし、こっちの言うことがまるでわかっているみたい。
 話しかける度によく反応してくれるの。」
あたし達は、昨日も清之介さんが仕事から戻ってから、美夕の様子について話していた。

現在のあたしたちは、椿おねえさんが所有する別荘の一つを借りて暮らしている。
それはここ、カナダのバンクーバーにあるカメリア・ホテル・バンクーバーから
車で5分という距離に整えられた、可愛い庭つきの居心地のよい住空間。


「日一日と、成長してるってことだよな、こんくらいの赤ん坊って。」
仕事帰りに一服した清之介さんも、目を細めて言う。



「うん。突然こっちに来たりして、環境の激変とかこの小さい子に大変
 だろうな〜って案じていたんだけど。
 順応力って、すごいもんだね。この子もあたしの子だったばかりに、
 幼い頃から苦労させちゃった。」
そう言ってから、一旦口を切ってあたしは思わず清之介さんにも言ってしまった。

「ほんとに、あたしのせいで金さんの人生も歪めちゃったよね。
 ずっと、あそこで寿司職人としての道を究めるって、言ってたのに・・・ごめんね。」


「つくしに謝られるなんざ、ちっとも嬉しかねーよ。何度も言ってんだろ?
 俺はとっくに決めたんだからよ。おまえが俺に笑顔見せてくりゃ、
 なんも言うことねーってよ。」
乱暴な口調だけど、清之介さんは頼もしいほど力強くそう言ってくれる。
「いつもそう言ってくれるのは嬉しいけど。でも・・・」

「でもは、いらねえ。カナダくんだりまで来ちまったけど、
 ここで二人で美夕を育ててくんだからよっ」
昨夜も彼はそう言うなり、美夕ごとあたしのことを、しっかりと抱きしめてくれた。




清之介さんと再会してまもなく、妊娠に気がついたあたしに向かって。
幸せにしたいから、ずっとあたしを守りたいから一緒になろうって、言ってくれた。
あたしが誰の子を身ごもっていたのかだって、すぐに察していたっていうのに。

・・・彼には、どんなに感謝したって、したりない。
あたしが清之介さんに返せるものって、まだ何もないような状態だけど。


早く、道明寺のことを心の中できれいに整理して、
そして一切のこだわりなしに清之介さんの胸に
飛び込めるようにならなければって。心からそう思っている。

でも・・・




目を閉じると先日、日本での道明寺との再会のことが思い出される。
「そいつは、俺の子だろ?」

いきなり、ストレートにあいつはあたしに問いかけてきた。
確信を持った口調で。


「俺は俺のやり方で美夕とお前を守るからなっ! 覚えとけっ!」
去りがてに道明寺が残したその言葉。
自分だってとっくに結婚していて、がんじがらめの生活を送っているくせに。

あいつってば、なんであたしを守るなんてそんなことを言ったのか。
その言葉が今も心に響いている・・・



あの頃。
確かに色々と奇怪なことが続いた・・・一歩間違えば生命に関わるような事故ばかり。
毎回、誰かに紙一重のようなタイミングで助けられて。
そして、ある日突然あたしたち3人は、ここに連れてこられた・・・。
多分、あたしも美夕も誰かに狙われていたんだって、思う。

もし、あのままあそこにいれば、きっといつかは魔の手に落ちて・・・
だから、あたしたちの有無を言わさぬカナダ移住は、「危機からの脱出」だったようだ。

そこにもあいつの意思が介在しているのかどうか、あたしにはそれすら実際にはわからない。





だって、バンクーバーで出迎えてくれた椿おねえさんは、
あたしたちの新しい「家」を案内してくれながら、言っていた。
「つくしちゃん達がここにいることは、誰も知らないわ。司でさえもね。
 知らないでいるほうが、お互いにとって安全でもあるの。」

おねえさんは、あたしにこちらの上流階級の女性が着るような服を渡して、
ここではこれを着て外を歩くように、といった。
「その方が、多分つくしちゃんの普段着で出歩くよりも、目立たないし
 自然にみえるから。」


そして彼女は更に、今までのようにあたしが清之介さんの傍について、
人目のある所で一緒に働くのもダメだと言った。
「こんな見知らぬ土地で、色々と不自由はあると思うけど。今は我慢して。
 あなた達一家の安全と、美夕ちゃんの健やかな成長だけが一番大切なことだから。
 ホテルに行くときも、こちらの使用人が車で送り迎えするわ。
 彼らは安心できる人たちだから心配は無用よ。」


それから。美夕を腕に抱いたまま頭を下げておねえさんの話しを聞いていたあたしに、
突然椿おねえさんは瞳に涙を浮かべるようにしながら、言った。

「道明寺家やロスマン家のことなんかとは無関係に・・・ただ、無条件に
 私は感謝しているわ。
 つくしちゃんが、この子を産んでくれたこと。・・・
 司の血を引いた子が、この世に誕生したことを。」


「おねえさんっ?!あたし、美夕は清之介さんと二人の子として育て・・・」
そのあたしの抗議の言葉を、おねえさんは哀しげにかすかな微笑を見せながら言った。
「わかっている。本当に、つくしちゃん達の幸せを願っているわ。」




ふっと思いを覚醒させる。
いけない。物思いに耽っていたりして。
美夕が寝ている内にさっさと用を済ませて、戻らなきゃ。
もう車はホテルのエントランスにすべりこむところだった。

優雅な造りのホテルの回廊を急ぎ足で歩いていた時。
突然、すれ違いざまに前方から来た男性とぶつかった。
きゃっ。・・・多分、あたしがよそ見してたせいだわっ。
その時、弾みで持ってきていた清之介愛用の七つ道具が入ったセカンドバッグが、
床に落ちて転がった。


「Oh sorry・・・」
そう言いながら、あたしとぶつかった男性はさっとセカンドバッグを拾いあげて、
あたしに渡してくれた。

「こちらこそ。よそ見しててごめんなさい。ありがとう。」
 受け取って、思わずこちらも会釈する。


一瞬の間だけど、彼と視線をあわせ、その人があたしに魅力的な微笑を
こぼすのを感じた。
青い瞳の、スマートな身のこなしのカッコいいビジネスマンだ。
欧米の男性特有の、彫りの深い顔立ちをしていた。

あれ?でも・・・この人の顔、どこかで見たことがあるような?
え?でも、まさかそんなハズないよね。
あたしには、ロスマン氏以外に外人の知り合いはいないもん。


一瞬の後、彼は通り過ぎてしまったので、あたしはそれっきりその人のことは
忘れてしまった。







48.





俺は最近、いらだちを抑えることもできなくなっていた。
あのT社の一件以来、ヤツはあんな安易な対処方法を取ったというのに、
なぜか世間は「坊ちゃん社長」のやり方を賞賛して、あの男の評価は高まる一方だった。
本来なら、我々革新派が最終的に現在の行き詰った経営にメスを突きつけ、
ついには現体制の刷新を図るはずだったのに。

T社の事件をきっかけにロスマン社が再評価を受けるなんて。
・・・あれは、あいつの実力じゃない。
ただ、ちょっと運がヤツに回っただけのことだ・・・


「全てが、うまくいかない。」

その中で唯一目論見どおりにことが運んだのが、ソフィアを妊娠させたことだが、
近頃の彼女は、微妙に俺と距離を置こうとしている。

俺は自分の欲望のはけ口のように、あのロスマン家の血を引く美しい女を
抱くことさえままならない。


・・・なぜだ?
ソフィアは夫への愛に目覚めたか?・・・いや、違う。そんな事はありえない。
そもそもあの男の心の中は、未だに別れた「想いびと」のことでいっぱいのはずだ・・・
その「天草つくし」という女性でさえも、家族と一緒に忽然と姿を消してしまった。

天草つくしこそ、道明寺司を追い詰めるのに我々が必要な切り札。
そして、彼女の産んだ子供が道明寺の子なら、
その存在は俺の野望に影を落とす、「排除すべきもの」。


だが、ある日一家は消えてしまい、それらしき家族が見当たらないかと
ほうぼう手を尽くして探させたが、いっこうに姿を現さない。

万事がうまくいかない・・・
だから、閉塞する事態を打開しようと、俺は腹心の仲間3人に声をかけて、
カナダ地区の重要顧客訪問と絡める形で、ここバンクーバーの
カメリア・ホテルで小さな会合を持っていた。

一昨日からカナダ入りして、気心の知れた仲間とともに、道明寺追い落としの
ために、次に着手すべき手について検討を重ねるが、これといって
はかばかしい案は、出てこない。




「ここまで来たら、ロスマン社の事業で重大な事故が起こるように仕込むか?」


そうすれば、世間は道明寺の責任問題を取りざたするかもしれない。
環境・安全対策のネジを一本か二本緩めてやれば、ことは巧妙に仕掛けられるかも
しれなかった。
しかし、それは同時に、自らの存在をリスクにかけるようなことでもある。
取締役が自ら手を下して会社に損害を与える事故を仕込んだと知られたりすれば、
俺たちはロスマン社内におけるポジションを失うどころか、
社会生命を完全に絶たれることになるだろう。


どうしたらいいのかを決めるためには、もう何度か、NYの喧騒から離れた
このバンクーバーのホテルに仲間と集い、
最終的に道明寺司を追い込むための段取りを考えていかなきゃ、ならないようだった。


「ちょっと、外の風に当たってくる。」
そう言って、俺は少しブレイクを取って庭に出た。




会議室に戻るとき、危うく前から急ぎ足で歩いてくる小柄な東洋人の女性と
ぶつかりそうになった。
彼女が落とした小さな茶色の男物のバッグを手渡すと、女性はありがとう
ございますと会釈した。


よく見ると、まだ少女のような初々しい感じの女性で、
その爽やかさに我知らず微笑が浮かんでしまった。
ここバンクーバーに滞在している客か?
東洋人の女性っていうのも、興味深いもんだな・・・抱き心地も違うのかな。
俺は、あの道明寺司が執着していた女性−天草つくしのことを思い出した。

この頃、ソフィアに避けられているせいか。余計に新鮮な若い女に目が向いちまう。
それも、無理はないな。
どっかで女でも調達しなきゃ、気がすまねー気分だ。
・・・思う存分、女の肌を貪りたい。・・・



俺は・・・この時すれ違った若い女が、軽やかな足取りで、
そして、まだ半分少女のような初々しい雰囲気に溢れていたので、
まさか、幼い子を持つ母親だとは、思いもしなかった。




まして、彼女こそ俺が血眼になって探し求めている、あの「天草つくし」だということも・・・

「天草つくし」については報告を受ける限り、
「質素な格好で、いつも子供をおぶるか抱くか肌身離さず、
若いのに所帯じみた母親」、と聞いていたから。
今出会った娘のような若い女は、俺が抱く「天草つくし」のイメージとはまるで違っていた・・・。










to be continued...
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