螺旋模様

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番外編 『螺旋模様 〜それから〜』




written by  セイラ







「きんパパっっ。」

「おう、美夕っ。しばらくだな、元気にしてたか?」



リビングに入り天草の姿を見るなり、美夕は俺と繋いでいた手をパッと離し、走り出した。
美夕がジャンプをして勢い良く天草の腕の中に飛び込む。
小さな身体を抱き留めた天草は、美夕を抱き上げて『高い高い』をした。


振り払われるように手を離された事と、美夕が大の『高い高い』好きなのを
天草が知っている事に大いにショックを受けた俺は、
相変らず美夕の成長を逐一メールや手紙で報告しているらしいつくしを
ジロリと睨みつけた。


美夕と天草の『感動の再会シーン』の様子を
背後でドアを閉めながら笑顔で見ていたつくしは、俺の視線に気がつくと
細い肩を竦ませてペロッと舌を出した。




つくしと美夕が俺のもとに戻って、3度目の冬が訪れていた。






運ばれて来たコーヒーに手をつける大人たちの中、
天草の膝を陣取った美夕はすこぶるご機嫌で、
ヤツが握って来たという寿司を寿司桶の中に顔を突っ込みそうな勢いで
頬張って食べては「おいしい〜。おいしくってなみだがでちゃう〜〜。」
と本当に目に涙を浮かべてカンゲキしている・・・・・。


美夕、仮にも・・・・いや、正真正銘お前は世界に名立たる大財閥の令嬢なんだぞ。
この道明寺司サマの娘ともあろうもんが、そんな一介の職人の寿司を
涙を流して食べるのか?
『司パパ』なら、お前が望みさえすれば、どんな超一流のシェフでも即座に呼び寄せて、
目の前に豪華な料理を並べてやる事が出来るんだぞ?

それなのにお前は、少し塗りの剥げかかった桶に並べられたその寿司を、
そんなに美味そうに食うんだな・・・・・。



満面の笑顔を向け、天草と笑い合いながら食べる事と喋る事に夢中になっている美夕。
つくしの『お行儀が悪い』というお小言にも全く聞く耳持たず。
俺のこの気分の悪さは、部屋の中で入り混ざる酢飯とコーヒーの匂いのせいだけでは
無いはずだ。






やや引き攣った笑顔の俺と三人の笑い声。
穏やかな時間が流れていた応接間は、小さなノックの後に入って来た人物によって、
瞬時にしてその空気の温度を変えた。



入って来たのは、俺の母親だった。


美夕を膝に乗せていた天草は、その身体を隣りに下ろすと、
居住まいを正し、頭を下げた。
天草から離された美夕は不服そうな顔をしたが、
顔を上げた天草の視線の先の人物がお袋だとわかると、今度はそっちへ駆け出し、
足の周りをくるりと回って小さな両手でお袋の右手を取って見上げ、笑った。



「おかえりなさい、おばあちゃまっ。きょうはもうごようじはよろしいの?」



天草は、美夕の言葉に驚いた様だった。

そりゃそうだろう。
弱冠3歳とはいえ、こいつは『道明寺 美夕』だ。
そんじょそこらのお嬢サマとは違うんだぞ。
あのままお前の娘でいたら(考えたくも無いが)、せいぜい寿司屋の看板娘がいいとこだろう。


・・・・・こんな事でしか天草に優越感を覚えられないだなんて、ムナシイな、俺も。





目を細めて美夕を見下ろして頷いたお袋は、視線をこちらに寄越すと
天草に会釈をし、言った。



「天草さん、その節は大変お世話になりました。どうぞゆっくりしていらして。」

「・・・・・ありがとうございます。」



そんだけかよ、とも思ったが、後で絵本を読んでくれとせがむ美夕に再び頷くと、
お袋は静かに部屋を出て行ってしまった。









「ひょー、ビビったぜ。あの『鉄の女』に礼を言われた人間なんて、
 世界中で片手にも満たないんじゃねえか?」

「フフッ、今はそうでもないよ。」



ドアが閉まると同時に大きく息をついてソファーの背もたれに姿勢を崩した天草に、
つくしが笑顔を向ける。

そうなのか?と、天草はまた驚いた顔をした。





実際、お袋は変わった。

3年前、『母親と子供を引取る為のDNA鑑定ではない』とまで言い切っていたお袋が、
つくしと美夕がこの屋敷に来てからというもの、明らかに眉間よりも目尻にシワが増えている。

本人は変わらずポーカーフェースのつもりでいる様だが、
初めて聞いた、美夕を膝の上に抱いて絵本を読み聞かせる声は、
身体にボイスチェンジャーでも仕込まれているんじゃないかと思う程、柔らかだった。
その声と様子に呆然とする俺に、隣りに居たつくしが
『あんた、ウラヤマシイんでしょ』とか言ったっけ。

『ケッ、ガキじゃあるまいし』と言い返したものの、引き攣った顔を誤魔化すのは
難しかった。







「しっかしさすがだな。お袋さんに話しかける美夕がご令嬢に見えたぜ。」

「見えるんじゃなくて、実際こいつはご令嬢だ。
 えいせい・・・・・じゃねえ、英才教育、受けてるんだからな。」


俺の言葉を聞いた天草が、心持ち心配そうな顔でつくしに視線を向ける。
するとつくしは、天草の視線を受けて、ニッコリと笑った。



「大丈夫。ホドホドにしてるから。」



安心した様にため息をついて、天草が笑顔を零す。
視線だけで相手の気持ちを察し合う。


こいつら・・・・・俺の存在、忘れてねえか?







「美夕、もうじき幼稚園だなぁ。」

「うん、みゆね、つかさパパとおんなじ、えーとくのよーちしゃにはいるのっ。」


・・・・・こら美夕、何を当たり前の様にそいつの膝に座り直してんだよ。



「そっか。誰かさんみたく、捻くれたコドモになるんじゃねえぞ?」

「・・・・おい、その誰かさんってのは誰の事だ?」



ドスの利いた声で脅したって、こいつには通用しない。
しかもあろう事か、とんでも無いセリフまで吐きやがった。


「つくし、こいつに愛想尽かしたらいつでもカナダに来いよ。
 美夕に父親が二人いるのと一緒で、お前にもダンナは二人いるんだからな。」




「何でそこで頷くんだ、つくしっ。美夕もいつまでもそいつをパパ、パパ呼ぶなっ。」






「・・・・・男のヤキモチってやーねー。」
「やぁねぇー。」




そう言ってつくしと美夕が顔を見合せて二人で首を傾げ合う。
三人の結束力に、俺は頭を掻きむしった。


「チクショー。厄介だな、『三つ子の魂 千までも』ってヤツは。」




・・・・・何だ、この沈黙は。
俺、何か変な事、言ったか?



パチクリと目を見開く天草。
そして、つくしがため息を漏らした。


「・・・・・司、いくら何でもそれは無理だから。」

「あぁ?」

「・・・・・何でも無い。」






夕方、空になった寿司桶をぶら下げて、天草は美夕とつくしを振り返り振り返り、
屋敷を後にした。
美夕は、抱き上げた俺の腕の中で身を乗り出しながら、
文字通り千切れんばかりに手を振って、『きんパパ、またね〜っ』と見送っている。



・・・・・やっぱり『また』があるんだな。
仕方ない事と思いつつ、心の中に吹く隙間風にフタをして、
俺は寂しさをやり過ごすしか無かった。








天草の寿司を食い、お袋とつくしから絵本を読んでもらってご満悦の美夕は、
コーフン状態でなかなか寝つかなかったらしい。


いつもより遅い時間、扉続きの隣りの美夕の部屋から戻って来たガウン姿のつくしは、
『やれやれ』と呟きながらドレッサーの前に腰を下ろすと、
背中の中ほどまで伸びた髪を梳かし始めた。



相変らず華奢な後姿を、ベッドの上で片肘を付きながら眺める。


白い肌も、小さな背中も、昔から変わらない。
けれどこいつは、あの時、この細い身体で俺と美夕を命懸けで守ろうとした。


心の葛藤と瞳の奥の涙と胸に抱える痛みを飲み込んで、
自分の事はいつでも一番最後。
いや、下手をすると、自分の事など全く構わずに
周りの人間の事ばかりを気に掛ける優しさと、情熱に溢れた女。
『守って欲しいだなんて思っていない』などと言われても、
何としてでも守ってやりたいと思わせる女・・・・・。


側に居るのが当たり前になった今でも、ふとした瞬間にその姿を目で探し、
確認してしまう。

それは、こいつの手を一度離してしまったという、
いつまでも消えない俺の後悔の念から起きる不安の表れ。


今日、天草に対して心からの信頼と情愛をさらけ出していたつくしに対する不安は、
情けなくも、言葉となって口から滑り落ちてしまった。




「なぁ、つくし・・・・・。もうどこにも行かないよな?」

「・・・・・あんたねぇ、あーんな思いしてまで一緒になったのに、まだそこで不安になる訳?」



髪を梳かしながら鏡越しに俺と視線を合わせたつくしが、呆れた声で言った。
そして、小さくため息をつくと、手にしていたブラシをドレッサーの上に置き、
スツールから立ち上がってベッドに近づき、横になった俺の隣りに
ゆっくりと腰を下ろした。



「じゃ、『絶対確実』って証拠をあげる。」

「・・・・・何だ?」



つくしが俺の右手を取って、そっと自分の腹の上に置いた。



「二人め。」



暫し、呆然。


多分今の俺は、ポカンと口を開けて、こいつ以外には見せられない、
いや、出来ればこいつにも見せたくない間の抜けた顔をしているんだろう。
目の前で、つくしがブンブンと片手を振りながら『大丈夫?』と言った言葉で、
ようやく我に返った。


「・・・・・マジ?」

「ん、大マジ。」



愛する妻の身体に自分の血を分けた命が存在する事を知らされた時の気持ちは、
その男本人にしかわからないものだろう。
しかも俺の場合、不覚にも美夕の時はその感情を知る事無く過ぎてしまった。


嬉しい。
どんな言葉を使ったとしても言い表せない程の喜びが胸の奥から溢れ出す。
この感情を、言葉で無く他の方法を以って表現するとしたら・・・・・。



今一番最初に浮かぶその方法を実践すべく、
俺は身体を起こして両腕を広げ、つくしににじり寄った。
それなのに、あろう事かつくしはベッドの脇へと後ずさり、細い腕を突き出して
俺の動きを遮りながらやや強い口調で言った。



「ちょっと待ってっ。抱き締めないで、抱き上げないでっ、
 グルグルなんて回さないでっっ。・・・・実はもう結構悪阻がしんどいのよ。」




チッ、読まれたか。

心の中で舌打ちをしたが、2ヶ月に入ったところだと言うつくしの言葉に、
ゲンキンにも気持ちは再び急浮上した。


「・・・・・すんげー、嬉しい。」

「でしょ?」


つくしは、俺が腹の上にもう一度置いた手を自分の手で包むと、
ゆっくりと労わるように撫でながら、笑った。


「だからもう、美夕にも『司パパ』って呼び方を卒業させなきゃね。」



昔と変わらない花がほころぶ様な、それでいて母親としての慈愛に満ちた笑顔を
向けられ、俺はつくしと美夕を自分の手に取り戻した日の決意を新たにしていた。







あの時つくしは、もう離れるのはイヤだと言った。
あの時俺は、もう二度と離さないと誓った。



俺の想い、つくしの想い、そして・・・・天草やこいつらに関わった人々の想い。
冷たく、固かった想いをゆっくりとあたため、解き解し、
全ての人が幸せである事を願い、いつでもいつまでも笑っていたい。

その中心で、沢山の愛情を受けて子ども達が育っていって欲しいと思う。


春はまだ、少し先だけれど。










『螺旋模様 〜それから〜』  了








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