錆びつく森

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act.6

written by  桜くらくら




9.





「牧野、俺さ……」

類がタライの水をかき回しながら言う。

「来月の異動でイギリスに飛ばされるんだ。」

そう言われ、つくしは、高校時代から流れて来た時間の終わりを感じる。
社会に出れば確実に、F4とは別の世界に振り分けられて行く。
自分は元いた世界に戻るだけ。

「牧野、茶道だけは続けてよ。」唐突に類が言う。

この4年間、将来、司と並ぶために、様々なことを身に付けて来た。
茶道はそのひとつで、大学の講義とバイトと他の習い事で忙しいつくしのために、
総二郎が時間の都合を合わせながら指導してくれていた。
それも、司との将来が描けないのならば、もう必要のないこと。

「牧野はもう、俺達とは関わらないつもりかも知れない。
 でも、どんな小さな接点でもいいから残して欲しい。
 お前が総二郎に茶道を習っていてくれるだけで、俺は安心できるんだ。」

「そんな、あたしってそんなに危なっかしい?」

「危なっかしいって言うより、面白すぎて目が離せない。
 もう、この牧野つくし劇場が見られなくなるかと思うとすげー焦るんだよ。
 だから、常に接点は確保しておきたい訳。」

「完全に珍獣扱いだね。」

「そりゃそうだよ、あんた珍獣だもん。」


そんな会話を最後に、類は日本を離れて行った。







10.





司と別れるまで、つくしが道明寺のグループ企業に就職することはほぼ決定事項だった。
つくしが専攻したのは法律で、いつか道明寺楓と対等に渡り合うのを目標に猛勉強して来た。
楓も、「私の片腕を育てるつもりで容赦なく鍛えてやってください。」などと、
つくしの指導教授に依頼していた。

つくしが望めばそのまま道明寺への就職も可能だったが、
つくしはそれを望まなかった。

教授が推薦してくれると言った企業は山ほどあった。
その多くは道明寺、美作、花沢、大河原傘下で、恐らく友人達のコネだろうとつくしは思い、
推薦を辞退した。友人達に迷惑を掛けてまで、分不相応な企業に就職したくない。
(実際はつくしの学業成績を評価しての推薦だったのだが)

つくしは普通に入社試験を受け、小さなバイオ関連の会社から内定をもらった。



桜が満開になった日、つくしはその会社「ビオラブ」の社員になった。
会社の業務内容は、微生物ハンティング。
地球上の様々な場所で微生物を採取し、培養し、性質を調べ、人類に有用なものを探す。
ほとんどの微生物は何の利益も生まないが、ごくたまに、人々が待ち望んでいた様な
大発見がある。
その研究成果の特許申請や権利の売買、それに伴う法的手続きがつくしの課の仕事である。

残業はあまりない。
退社後、週に一度、西門邸に通う。
総二郎に稽古をつけてもらった後、一緒に飲みに行ったりもする。
聞き上手で、女の扱いが上手く、決してつくしの傷に触れることはしない総二郎。
そんな彼ととりとめのない話しをするのが、つくしには息抜きになっている。



つくしが会社での業務にも慣れたある日、
イギリスに本拠を置く化学メーカーが、画期的な断熱塗料を発表した。
建築物の保守を簡略にし、冷暖房効率も高める効果が期待でき、世界的に
耳目を集めている。
その化学メーカーは少し前、経営建て直しのために外部から社長を招聘しょうへいし、
話題になった会社でもある。

隣に座る先輩社員がそのニュースを見て、「何でS社が…。」と驚きの声を上げている。


何が問題か判らないでいるつくしに、先輩は説明してくれた。

「あの塗料の成分は、うちが分析した微生物の分泌物から生まれたの。」

「じゃあ、うちの特許なんですか?」

「いえ、あれは分析を依頼されただけ。でも、巨大な利益を生む発見だと判って、
 会社中で興奮したのよ、うちには何の権利もないものだったけど。」

「では、S社が製品化して、問題ないんじゃ……」

「ええ、でも、その微生物を持ち込んだのはロスマン社だったのよ。
 あんなドル箱になる発見を、他社に権利譲渡するなんて、
 私達には理解できない事情あったのかしらね、ロスマン社にも。
 2年ぐらい前だから、飛ぶ鳥落とす勢いに見えていたのに。」

久し振りに聞くその社名、自分の人生を大きく動かすことに関わったその名前を、
つくしは遠いことの様に聞いていた。

私達には理解できない世界。そんな世界に、司は生きている。







11.





誰よりも強く政略結婚すべき運命に抗いながら、誰よりも早くその運命を受け容れた親友。
彼と、その恋人だった女を思う時、総二郎の胸には苦い悔恨と敗北感がせめぎ合う。

別れるタイミングはいくらもあったのに、
俺達は、自分が掴めない夢をあいつらに託して背中を押し続けた。
障害を乗り越えるたびに強くなる絆。
絆が強ければ強い程、それが断ち切られた時の傷は癒しがたいものなのに。

週に一度、茶道の稽古をつけ、飲みに行く間柄となった雑草女は、
それでも今いる場所にしっかりと根を下ろし、仕事にやりがいを見付けた様に見える。

17歳から22歳の今まで、NYの親友が見られなかったこの女の変化を、ずっと見詰めて来た。
季節が巡るたびに輝きを増し、鮮やかに俺達を驚かせ続けてくれた彼女。
誰からも祝福され、親友の胸に飛び込むまであと一歩だったのに…。
残酷な運命はもう二人を共に歩ませることはない。



「学生時代のことには、もう区切りをつけたつもり。
 あいつとはやっぱり、異次元に生きてるんだって最近よく思うんだ。」

数日前に飲みに行った時、つくしはそう言っていた。

「大企業の事情って、あたしたちには理解できない理屈で動いているんだなあって。」

それに続けて軽く語られたロスマン社に関わる話は、
その場では世間話として聞き流したものの、時が経つに連れ、
重大な何かを示している様に思えてならない。

様々な仮説、可能性が頭に浮かんでは、嫌な結論を導く。
杞憂であれば良いが、ままならない人生を強いられた親友を、
更に苦悩させる事態が訪れる様な気がする。



司に会いに行った。
NYの、彼が住居としているホテル。妻帯者でありながら、全く家庭を感じさせない部屋。

「どうしたんだ? お前が俺に会いにくるなんて。」

何年か振りに会う親友は、そう言いながらも、顔をほころばせた。
疲労がにじむ表情は、隠すべくもなかった様だが。

「ちょっと気になることがあって…。」と話を切り出して見る。

「S社の今の社長って、ロスマン社の元社長だよな。」

「ああ、俺が結婚した時に辞めていった。」

「ロスマン社と、その社長個人かS社との間に、微生物の特許の譲渡か何かあるか、
 調べた方がいいと思う。S社のドル箱断熱塗料は、ロスマン社に権利があったものかも
 知れない。」

「いきなりワケ判んねーよ。なんでお前がそんなことを…?」

「その成分発見に連なる分析を請け負ったのは日本の研究所だ。
 依頼してきたのはロスマン社らしい。」

「あ? まあ、一時期、社内の研究室が手一杯で、外注に出してた様なことは聞いたけど……。」

「社内で発見されたのなら隠匿するのは困難だろうけど、社外で、それも国外で発見されて、
 まだ社内では自分しか知らない状態だったら、独り占めしたくなるかも知れない。
 微生物なんか、ハズレの山の中にアタリが一個あるかどうかなんだから、
 アタリくじだとみんなに知れ渡る前に、別の物とすり替えたり、二束三文で売っぱらったりしても
 砂粒ひとつ無くなったぐらいにしか認識されないだろ。」

「お前……どこでそんなネタ仕入れたんだ?」

「だから、その、日本の研究所の社員。」

「女か? まあ、お前のことだもんな。」そのもの言いに、懐かしいやり取りがよみがえる。

「ああ、いい女だぜ。」いくらかの皮肉を込めて言ってやる。


「なあ、司、ロスマン氏とお前が巻き込まれたあの事故は、本当に事故なのか?」

最大の疑念をぶつけて見る。

「何が言いたい?」

「ロスマン氏が社内の背任行為に気付いていたとしたら……。
 もし、誰かがロスマン氏の命を狙っていたとしたら……。
 ロスマン氏が意識を取りもどすと困る奴がいるとしたら……。」

「もう一度、ロスマン氏を殺しに来るかも知れないっていうのか?」

「奇想天外だと笑うか? でも、すぐにでも警護を完璧にした方がいい様に思う。」





司はその場で電話を掛け、ロスマン氏の警護を手配した。

一人になり、総二郎との会話を反芻し、考える。

総二郎の推理が正しいとしても、社長単独でできることではない。
現場に近い人間がいなければな。

複数の人間が悪事を企めば、必ず連絡手段が必要になり、不自然な動きが生じる。
嗅覚の鋭い人間なら、それをいち早く察知することになるだろう。
確たる証拠を掴めなくても、不穏な違和感として。

あの事故の日、ロスマン氏と食事を共にしながら何度も感じた。
会社を任せている社長への、漠然とした疑念。










to be continued...
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