錆びつく森

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act.7

written by  K's Apple




12.





「西門さんてば、NYですか…」


茶道の稽古を一週間スキップさせてくれ、次の週にうめあわせするから…先週の茶道の
時間の前に、唐突に西門さんから連絡があった。
その前に会ったときは、NYに行く話しなんてまったくしてなかったのに。

やっぱ、あの人達みんな、気まぐれだわ。急に世界一周旅行なんていいだしたりして・・・
でも、もう帰ってきてるのかな。・・・今週は予定通りだっていってたし。



そんなことを思いながら、先日久しぶりに聞いたロスマン社の社名と、西門さんのNY訪問とを
自然に頭の中で連関させていた。
道明寺が結婚したのは、そのロスマン社の会長の一人娘とだった。
ロスマン氏の突然の不幸が、あたし達の人生の歯車を別々の方向に転がすことになって・・・


・・・いや、でもそれも運命だったんだよね。
今のあたしは、不思議と落ち着いた気持ちでそう思っている。
小さな会社で、地道にキャリアを積んでいくっていうのが、あいつとは違うあたしの
生き方だもん。




もう一度同じ場に立たされたとしても、あたしはきっと同じようにあいつとの別れを
選択しただろう。
かつて窮地に立った道明寺財閥を救ってくれた恩人。彼と、彼の会社の危機。
あたしがかくも愛した男は、やっぱりそれを見て見ぬフリなんかできる人間じゃなかった。


ロスマン氏の愛娘を支えながら、NYで活躍する道を選んだ道明寺。
今のあたしは、あいつを自分とは無縁な遠い世界に生きる、眩しい存在だと思っている・・・




「牧野さん・・・」

勤務時間中だった。・・・名前を呼ばれていたことにはっと気が付いて、顔を上げた。
もう何度か、自分の名前を呼ばれていたようだ。
室長が、会議室にあたしを招いていた。



「すみません・・・」
慌てて会議室に入ると、室長はいきなり本題に入った。

「二年ほど前に、当社がロスマン社から委託を受けた微生物由来の有効成分に関する
 分析の契約がある。これについて、改めてロスマン社の方から当時の当社の
 対応状況を確認したいと求めてきている。
 あいにく、業務部門で当時この件を担当した者が退職してしまっていてね。
 牧野さん、入社間もない君には少し荷が重いかもしれないが、君の方で当時の
 ロスマン社とのやりとりや契約内容などの資料をまとめなおしてくれないかね?」

室長はそう言って、15cmはあるかというくらい分厚いファイルを二冊、あたしに示した。


「あの・・・」

まさか自分が、道明寺が経営の責任を担うロスマン社と、仕事で関わりを持つことになるなんて。
なんていう因果だろう・・・
そうは思ったけど、ここは従業員50人に満たない小さな会社で、しかも社員の殆どは
研究担当者。
こうした事務に関する仕事は、経験の少ない新米社員といえ自分がやらなきゃならないって、
わかっていた。


「わかりました。では、ファイルを見直してみます。資料作成の期限はいつまでと
 考えればいいでしょうか。」

「5日後の来週月曜日にロスマン社の人間が当社を訪問する予定だ。」
室長は明確な指示を残して、席に戻っていった。


このファイル二冊、土日はさんで5日以内に読み込むのか。・・・マジですか?
大体、突然用を言いつけてきて5日後にやってくるだなんて。
そのロスマン社の担当者ってヤツの顔がみたいもんだわ。
・・・なにげなく、すっごいハードワークを引き受けさせられた気分。
・・・しかも資料の半分は英語だし。

重いファイルを腕に抱えるようにして席に戻ったあたしは、その場で西門さんに今週の
お茶の稽古はキャンセルさせて欲しいと、メールを入れていた。






さっさと用件だけ告げてから、観光にも遊びにも時間を費やす様子もなく帰国しちまった
総二郎。
本当はもっと色々と聞きたかった・・・皆が元気にしてるかとか。
そして、・・・牧野が今どうしているか。 あの笑顔をまた見せてくれるように
なったかどうか・・・
俺のせいであいつに辛い思いをさせた。それはわかってるのに。
牧野には幸せでいてほしい・・・って。虫のいい話だ。


感傷的な気分に流される前に、俺はさっきから気にかかってたことに意識を戻し
首をひねる。
どう考えても今回の総二郎は、S社の開発製品と、ロスマン社の研究との因果関係を
わざわざ俺に言うためだけに渡米してきたみたいだった。
普段はそういうヤツじゃなかっただけに、何となく別れた後も気になった。

だから、総二郎が帰ったあとすぐに、ヤツが言ってた「ロスマン社が日本の分析機関に
委託したかなんかの契約」っていうのを確認するように、部下に命じた。



別に、何の確証があったわけではないが・・・
確かに、不自然なタイミングでロスマン社を去った元社長のサム・ラスカン氏。
彼を迎え入れたS社。 そしてロスマン社内では聞くこともなかった、ある
「画期的な」微生物研究の話。
それから、S社が開発した、バイオ技術を駆使した画期的な遮熱効果を持つ
「断熱塗料」の発表。
それらがどこかに奇妙な関わりをもっているように、感じられた。


二日後、部下から報告があった。
ロスマン社の中央研究所では、当時いくつもの微生物の効果試験を同時並行で
進めていたが、今回のS社の開発塗料に用いられているような、微生物培養液から
取り出した特殊な酵素の活性成分の調査なんて案件は、研究所の調査記録からは
見つからなかった。

そして、当然ながらその微生物由来の特許の譲渡契約も許諾契約も、何も存在しなかった。

ただ唯一、日本企業の「ビオラブ」という小さな研究所に何かの研究委託を行ったらしき
形跡があったが、それも詳細なレポートは発見されず、「inactive」(不活性)という
簡単な評価がリストに一行残ってるだけだった。



なんだよ、ガセネタかよ?
その総二郎の言ってた、日本の分析機関とかってのは、何の話をしてるんだ?
他の仕事も山ほど抱えてたから、もうこんな話はそのまま捨てておこうかとも思ったが、
あの会食の日のロスマン氏の顔がふと浮かんだ。


彼がサム・ラスカンに不信感を抱いていたのは確実だった。・・・その思いが、
俺の背中を押していた。
電話に手を伸ばすと俺は、秘書に日本のビオラブ社と連絡を取るよう命じていた。


電話を終えた時。 俺の野生の勘は確かに危険信号を感じ取っていた。
ビオラブの連中は、二年前のロスマン社の委託契約をよく覚えていた。

「あの素晴らしい試験結果を見て、てっきり御社が製品開発をされるものと思ってました
 ・・・一体どういった経緯で権利をS社にお譲りになったのでしょう・・・」

ロスマン社の人間だといって電話で話した俺に、ビオラブの社長は「驚きました」を
連発していた。


その瞬間、俺は5日後のビオラブ訪問を決めていた。
他の者に出張を指示するのではなく、自らの目で確認してこようと。
そのくらい、このS社がらみの微生物試験疑惑は、俺に警鐘を鳴らしていた。







13.





「おいっ、牧野!おまえ、今日の今日でドタキャンはねーだろ!?」
耳元でガンガンと西門さんの声。携帯を握り締めてたあたしは、閉口して声をあげていた。

「ちょっと待ってってば、西門さん。あたし、まだ勤務中。」
「勤務中って、夜の11時過ぎてんだろうが?」
今度は、さっきまでの文句とは違って呆れたような声が聞こえてきた。


「おまえ、いい若い女がなんでそんな時間まで、残業してんだよ?」
「仕方ないのよ・・・フツウじゃない仕事が急に舞い込んできてね。」
それからあたしは、緊急で二年前のロスマン社からの委託研究の経緯を見直さなきゃ
ならなくなった、と電話で伝えた。



「ロスマン社?・・・こないだおまえが言ってた案件だよな。」

「そうよ!どういう風の吹き回しか知らないけど、突然あと4日したら先方の人間が
 この件を確認しにうちの会社を訪問することになってね。それまでに全ての資料の
 見直しをしろって。まったく、急にやってくるだなんて乱暴な人間もいるものよね・・・
 そういう訳で今週はアフター・ファイブの予定は全てキャンセル。」


あたしがそう言うと、さっきまでギャ―ギャ―言ってた西門さんがなぜかおとなしくなった。
「そういう訳だから、今日はゴメン。お茶のレッスンの後にせっかくNYの土産話でも
 聞かせてもらおうと思ったのに。この仕事が片付いたら、来週からまたお稽古、
 お願いします。」

そう。NYの話が聞ければ、その中で道明寺の近況でも聞こえてきたかもしれない。
親友の西門さんが訪ねたんだしね。
あいつの話なんか聞けば、切ない気持ちがよみがえるだけかもしれないけれど・・・


おっと、まずいまずい・・・今は期限つきの仕事の真っ最中。
余計なことを考えてる暇なんか、ないわ。


「・・・そうかよ。大変そうだな。で、おまえの仕事は着々と進んでるか?」
西門さんは、今度はあたしのハードワークに同情してくれたみたいだ。


「ああ、そうね。別にこれといって問題は無くて、きちんと契約も結ばれているし、
 うちの会社は契約通りの仕事を済ませてレポートを提出しているし。ただ、交渉も、
 契約も、お金の支払いも、分析の評価も・・・先方ではその全てを一人の人間が
 担当しているっていうのが、ちょっと不思議な気がしたんだけど。」

だって、ロスマン社ならうちと違って大企業だし、専門ごとに担当者がいるはずだもんね。
あたしはそんな感想の後、電話を切ろうとしたんだけど、その前に西門さんが言った。


「牧野、おまえの会社の近くで待ってるから、仕事を片付ける頃に電話入れろ。」
「ちょっと、西門さん!今日は稽古も飲みにいくのもなしって言ったじゃない?
 何時になると思ってるの?もう夜中よ!」


「夜中だから、待ってるっつってんだよ!おまえのアパートまで車で送ってくだけだ。
 一応若い女なんだから、深夜に外を一人でうろうろするような危険なマネはするな!」
電話が切られた後で、ほーっと溜息をついた。

F4の彼らと、あたしとでは、住んでる世界が違うって何度思ってきたか、しれない。
なのに・・・あたしがあいつと別れた今でも、こんな風にみんな変わらぬ友情を
注いでくれる・・・
イギリスに行った花沢類も含めて。


あの頃の道明寺と同じように・・・あたしのことをこんなに色々気遣ってくれる
皆の気持ちが、なんだか痛いよ。




それから連日(いや、連夜か)。俺は深夜便のタクシーよろしく、真夜中まで残業する
牧野の送迎役を務めていた。
おかげで今週は夜遊びナシだぜ。

「ごめんね、別にいいのに。」
恐縮しながらそう言う牧野は相変わらずクソマジメに、ファイルの中身を一つずつ
熟読しているらしかった。

「いや。おまえが夜中にフラフラすること思うと、会社の前で待ってた方がまだ
 マシだからな。」
そう言いながらも俺は、この牧野の仕事は、多分俺のNY訪問のとばっちりを受けたに
違いない、とも思う。
司のヤツ、やっぱ動きだしたんか・・・



これをきっかけに、S社に一泡吹かせて、ロスマン社の息を吹き返すことができるか?
もし、見事にロスマン社を建て直すことができたら・・・そしたらその先には一体
何が見えるんだ・・・?
かつて、あいつらがあんなに望んだように、司と牧野に再び一緒の道が・・・


・・・いや、それはあまりに安易か。
二人が別れちまったっていうのは、厳然とした事実だからな。


とんぼ帰りのNY訪問だったけど、俺は司と会ったあとでもう一人、別の人物と
面会していた。それは司の「妻」のマリー・ロスマン。
彼女とは初対面だったし、そもそもNYに着いた時点では彼女と会うことなど
考えてもいなかった。
ただ、結婚生活を続けているというのに、あまりに家庭人らしい生活の気配の
感じられない司の様子が気になった。

それで、司の幼少の頃からの親友で渡米の機会に奥さんに挨拶したい、と
申し入れてみたら彼女は、短い時間なら・・・と面会をOKしてくれた。

ホテルのラウンジで見た彼女は、人妻とはとても感じさせない華奢で繊細な感じの
少女・・・だった。


元は快活な令嬢だったというけど、今の彼女は頼りなげで、俺に向かって深々と
頭を下げる様子に、こっちが見てて気の毒になった。
「お父さんは、大変でしたね。その後容態は落ち着いてますか?」
彼女の気分をほぐそうと、俺が彼女に微笑みかけながら話し掛けると、マリーは
また頭を下げてみせた。


「皆様にご迷惑をかけて、すみません・・・」
「いや、俺は別になにも迷惑なんか、かかってないけど。」

まだ若い彼女は、無邪気な少女時代を過ごしていたのに、突然の父親の事故に遭遇して、
いきなりシビアなビジネス社会の現実の中に投げ込まれた。
人生の全てを狂わされたんだよな・・・こんな可愛い子なのに、気の毒に。


司や、牧野同様に、彼女もこの一連の大きな運命の渦の中に巻き込まれた、
「被害者」だ・・・



司には大変よくしてもらっていると、色々と仕事を教えてもらってもいると彼女は
言葉少なく話した。
妻であるはずの彼女から、不思議なほど仕事を離れての司との関係を想起させるものは、
何も感じられなかった。
いくつかのやりとりの中で、彼女は幸せだった学生時代を振り返り、愛情深かった
父親のことを懐かしそうに語り、そして司がロスマン社の事業も一緒に見てくれて
感謝しているという言葉を残していた。



「あの・・・ひとこと、申し訳ないとお伝えください。
 司さんが心から愛しているという、日本に残してきた女性に。」
帰り際にマリーが小さな声で俺にそう言ったので、俺は改めて彼女の顔を見た。

「5年の内には、なんとか司さんの力を借りずにやっていけるようにならなくてはと
 思って・・・」
控えめで、おとなしやかな彼女は、その言葉を口にしてから再びその憂いを帯びた瞳を
下に落とした。

必死で自分の力で立ち上がろうとしながらも、周囲を見回すほどに、非情で過酷な
環境に恐れをなしてしまう。
それが今の彼女だ・・・


5年後・・・彼女は、何の約束をしようとしていたのだろうか。
確かめたいような、だがそれは俺がここでこれ以上彼女に求めることではないように、感じた。


「司は、あなたのお父さんのことを企業人として心から尊敬しているし、
 彼の回復を心から願っているはずです。
 今回も彼の身を案じて警護を強化するようにと、病院の方に指示をしていましたよ。
 あなた達二人のためにも、一刻も早いロスマン氏の回復を祈ります。」
俺は、それだけ言ってから彼女に別れを告げていた。







14.





厳しい納期の仕事だったけど、約束通り4日目の午前中に何とかロスマン社に関する
報告をまとめた。
当日になって、室長から急遽ロスマン社との打合せにはあたしも同席するようにと言われた。
それも今すぐこいという。

慌てて、室長に言われた通り、普段社長の賓客しか通さないVIP用の応接室をノックした。

「ご紹介します。こちらが今回の件を担当した当社の社員の牧野です。」
あたしが顔を覗かせた途端に室長が紹介し、あたしも急いで客席の方に頭を下げた。

「遅れまして申し訳ありません、牧野です。」
面談相手であるロスマン社の担当者に挨拶をして、頭を上げて改めてその訪問者の顔を
見ようと・・・




えっ?!・・・嘘っ・・・!!


それはこの日この場所で面談することなど、あり得ない相手だった。


そして・・・「彼」を見た瞬間に、あたしはまるで瞬間冷凍にされたみたいに、凍りついた。
声に出さないあえぎ声をたてて、必死で椅子の背につかまりながらあたしは「その訪問者」を
見つめていた。



「ど・・・」
それしか、言えなかった。



「牧野!?・・・おまえ、ここにいたのか?!」
席から立ち上がったまま、その場でフリーズしてしまったのはあたしだけではなかった。
遥々遠いNYから、二年前のロスマン社とビオラブとの契約の調査に現れたのは、

道明寺司だった・・・










to be continued...
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