錆びつく森

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act.8

written by  K's Apple




15.





どういうことなの、これは・・・
ロスマン社との契約内容を調べなおすよういい使って以来、幾度となく道明寺のことを
思い出していた。
でも・・・まさか、その道明寺が直接ロスマン社の代表として、この場に現れるなんて・・・!


前触れもなく現れた道明寺。
数ヶ月のブランクはあったけど、その姿を目の前にするだけで、頭がクラクラしそうだった。
相変わらず・・・どこにいても、他を圧倒するカンペキな容姿。
隙のないビジネスのオン・タイムでのファッションも比類ない・・・

とってもじゃないけど、顔を直視なんてできない。
踏ん張らないと・・・ここは職場だし、あたしは業務としてこの場に同席している。
さあ、私情はなしよ!


あたしは両手を組み合わせるようにしてぎゅっと握り締めた。 
今の彼は、純粋に商談相手なんだ・・・



道明寺は端的に、S社が開発し世界中で販売を始めた「断熱塗料」に用いられた微生物由来の
有効成分を取り上げて、ビオラブ社が行った試験について知りたいと言った。
契約の有無も含めて。
非常に有益性と有効成分の高い「ある微生物」は、二年前の7月にS社からの依頼で
イギリスの試験研究所で分析が行われ、そして同年8月にS社から特許の出願がされていた。

現在のロスマン社の者は誰一人として、S社が画期的な発見をした「微生物」を、
ロスマン社が先に発見していた可能性があることなど、知らなかった。


「じゃあ、牧野さん。こちらの調査結果をポイントだけ説明して。」
室長に促された。


道明寺はといえば、最初の驚きの後はあっという間に自分の感情の一切をコントロールして、
その端正な顔にはいささかの感情の揺れも認められなかった。
あたしは、自分を厳しく律してないと涙がこみあげそうになってるっていうのに・・・
さすがだね、道明寺。そうやっていると、あんたがますます研鑽を積んですごい男に
なっているってわかる。



「あっ、それではえーと、5ページ目を開いてください。・・・」あたしは手元に配った
資料を元に説明をはじめた。

「本件は、ロスマン社から受託させて頂きました、微生物試験名Q−1356に由来する
 有用成分の有無を測定分析するという試験で、契約日が二年前の6月10日。
 契約者は当社の社長と、ロスマン社のバイオサイエンス部長のリン・ウエスト氏と
 なっています。」


腕を組んだまま、無言で私の説明を聞いている道明寺。
お互いに高校時代の相手しか知らなかったから、こんな風に実際の仕事の席で道明寺を
見るというのは初めてで、こいつの恐ろしいほどの存在感に、その場にいるだけで
圧倒されそうになった。


「牧野さん、続けて。」
「はい。」
室長の指示で、あたしはそのまま説明を続けた。

「実際の委託分析の内容ですが、寒天培地で培養された微生物Q−1356を
 培養装置に移して大量に培養しまして、次にそれを遠心分離して・・・」

道明寺は何の反応も見せずに、静かにあたしに耳を傾けている。
声が震えないように気をつけながら、あたしは報告書を読み上げた。


「・・・菌体を集めてから、これを破砕の上酵素を取り出し固定化します。
 この酵素成分を分析し、温度コントロール及び調湿効果を期待できる成分が
 多量に含有されていることを確認しています。分析実験は当社がロスマン社から
 研究受託して3週間後に終了し、報告レポートを契約条件通り同年7月6日に
 ロスマン社に提出しています。尚、委託試験契約書と、関連する秘密保持契約書の
 写しは参考資料としてここに添付してあります。」




そこまで一息に説明して、それからあたしはほーっと息をついた。
確かにこの件は、「ドル箱」の微生物が発見されたというのに、当事者のロスマン社が
事業化を放棄したという特異なケースで、社内でも皆が驚きの声をあげていた。

でも・・・まさか道明寺財閥の直系の後継者でもある道明寺司が、わざわざその調査に
乗り込んでくるなんて!
やっぱり、その位深刻な問題が、S社成功の背後には隠されていたんだ。


その事実が、何とも重苦しい気持ちに、させた。
道明寺が棲んでいるのは、隙あらば相手を蹴落とそうとする、まぎれもない
「タフなビジネスの世界」。
そこでは、ロスマン社とロスマン氏に、一体どんなトリックが仕掛けられていたの・・・?



「貴社との窓口は、全てこのリン・ウエストという担当の部長だけですか?」
説明を聞き終わったあと、道明寺が質問してきた。

「はい。過去の資料には全て目を通しましたが、当社はその方以外とは接触をしている
 形跡がありません。」
あたしは、答える。


「それから、試験名Q−1356ですが、正式な書類上でも確かにこの試験名とそれから
 微生物から分析された物質名は一緒に併記されているのですね?」

「添付資料の委託契約書のコピーをご覧下さい。ちゃんと正式書類の中で併記されています。」
道明寺は、素早く書類を確かめていた。・・・証拠として照合する上で、一つ一つが重要だ・・・


「私は技術的なことは素人ですが、この試験分析結果を貴社ではどう判断しますか?
 客観的にみて、そんなに人が驚くほどの効果が出てるのでしょうか?」
再び道明寺が質問する。
なんか、聞いてるだけでも舌を巻く。今の道明寺が企業人としてメチャクチャ切れるってことは、
こうした短いやりとりからだけでもよくわかった。


今度は、室長が答えていた。
「客観的に見て、この酵素は極めて高い細胞膜を形成する能力を備えていると判断して
 差し支えないと思います。」
「細胞膜の形成?・・・それは、つまり?」


室長は、続けた。
「試験結果から判断すると、S社のようにもしこれを塗料中に用いるとすれば、ごく少量の
 酵素成分を塗料の製造工程中に添加することによって、塗膜表面に特殊な膜形成が
 促進され赤外線を効率よく反射し、熱の侵入を遮断することになります。」


「なるほど。」
道明寺は何事かを、考えているようだった。

「実に不思議なことに、この試験結果も、いや、そもそもこの微生物に関する貴社との
 委託試験の事実自体がロスマン社の記録には残されてはいない。」


「しかしS社の社長のラスカン氏は元・・・」
室長は途中で言葉をつまらせた。
「そう。彼はその当時、ロスマン社の社長をしていた。」
道明寺はそう言うと、厳しい表情を向けた。



あたしは言葉もなく、その様子を見ていた。
「これは十分調査して、法的手続きが必要のようですな。」
室長が重々しく言うと、道明寺はクールな微笑を一瞬浮かべた。
「ええ。私も妻も、S社をそのままにしておくつもりはありません。
 立件に当っては、御社にも色々とご助力を頂くことになるかと思います。」


事態の重大さに、室長は当時の実際の研究担当者を連れてくると言って、一瞬席を外した。
道明寺と私とは、応接室に二人だけで向かい合ったまま、取り残される形になった。



「信じられない・・・」あたしは、呟く。
「総二郎から聞いた、S社のドル箱事業とロスマンの委託研究の関係に気づいたビオラブ社の
 女性社員ってのは、おまえのことだったのか。」
仕事上の敬語をかなぐり捨てて、初めてこいつはビオラブの一社員としてではなく、
あたしに話しかけてきた。


その声に・・・一気に懐かしさが込み上げる。
道明寺!・・・そう呼びかけたいけど、でも動くことはできない。
話しかけるかわりに、あたしは目を上げて、じっと道明寺の顔を見た。


以前と少しも違わない。・・・いや、この間会った時よりも尚一層精悍になったかもしれない。
完璧な企業人となった、今の道明寺。
前回に会ったのはNYだった。

道明寺の総帥就任を祝うために招かれたあの夜のパーティ。
無理やり抱きしめられそうになりながらもあたしは、一方的に別れを告げてこいつの前を
去ったんだ・・・



「絶対に、奴らの化けの皮を剥がす。」
突然道明寺は、決然として言った。
「あのラスカンの尻尾を捕まえて、奪われた微生物について黒白つけてやる。
 ・・・これが解ければ、もしかしたら、ロスマン氏の襲撃の黒幕だって
 はっきりするかもしれねえ。」


その強い口調と、しっかりとした意思。それを見ていたら、自然に言葉が零れた。
「そう。・・・真剣だね。
 そりゃ、自分の奥さんの実家のことだもんね。真剣にも、なるよね。」


なんでそんな言い方をしたのか、わからない。
ロスマン社のために全力で取り組む道明寺を見ていたら、気が付いたらそんな言葉を、
口にしていた。



聞いた瞬間に道明寺の眼が細く、鋭くなるのがわかる。
あたしを見る道明寺の顔が、あまりに厳しくてびっくりした。
怒っている・・・あたしは感じた。道明寺は、全てのことに。
ロスマン氏を襲った事件も勿論、別れなきゃなんなかったあたしたちの運命にもまだ。
・・・きっと本当には納得なんかしていない。


「おまえは、俺がどんな気持ちで・・・」
でも、そこまで言ってから、道明寺はすぐにふっと横を向いてしまい、ぼそっと言った。
「そうだ。ロスマン家を守るのは今の俺のミッションだ。・・・それで、おまえは。
 今はどうしてる?」
彼の表情から今さっきの激情は消えうせていた。



「は?・・・どうしてる?って、この会社で働いているに決まって・・・」
「そんなことは聞いてない。おまえがここの社員だってのは、見りゃわかる。
 そうじゃなくって、おまえ自身のことを聞いたんだ。」

「別に。」あたしは答えた。
気のせいか、声が震える。「何も、ないよ。」
何も・・・今ここで、別れた恋人同士としてこいつと話すことなんかもう、何もないんだ・・・


そのとき再びドアがノックされて、室長が研究者を伴って入ってきた。
暫く試験内容詳細の確認を行った後で、道明寺はその場でNYに電話をして二年前の
ロスマン社の全ての書類を総チェックし、当時持ち出された書類や微生物のサンプルなどが
なかったか、極秘裏に調べろと命令した。
それから、当時のバイオサイエンス部長だったリン・ウエストについても調査するよう指示した。



リン・ウエストについては、折り返し電話で報告があった。
この当時のバイオサイエンス部の女性部長は、一年半前にロスマン社を退職していた。
今はどこにいるのか。彼女の行方はしれなかった。
また、バイオサイエンス部は二年前の7月に突然解散になり、次にロスマン社に新たに
バイオ開発部ができるまでの間半年ほど、書類や試料の保管が十分なされていなかった
期間があることもわかった。

うまくこの機に乗じて、保管庫から菌株や試料を盗みとることだって、内情に
たけたものならきっと可能だ・・・
驚嘆すべき事実の数々が、次々と明らかになる。



そして翌朝の新聞では、S社と花沢物産の、「断熱塗料の世界的なマーケティングに
関する事業合意」が発表された。
これで花沢物産が・・・花沢類がS社の技術情報に触れられることができる・・・
コレは幸先がいいかも。あたしがそう思った矢先。
西門さんから携帯に電話が入った。


彼は、前日日本に着いたばかりの道明寺が、予定を変更して今朝急遽NYに戻ったと伝えた。
奥さんから呼び出しがあったから、と。
道明寺が離れている間に、ロスマン氏の身に何らかの異変があったのか・・・様子が
おかしかったという。

あいつは急に帰国すると言っただけで、西門さんも、それ以上詳しい情報は
まだつかめていなかった。


急をしらされて・・・道明寺はロスマン氏や、奥さんのとこに、戻ったんだ・・・
今のあいつのNYでの暮らしぶりはよくわからないけど、きっと奥さんを大切にして
結婚生活を営んでいる。
実際にあいつを目の当たりにして、あたしの中にちょっとした台風が吹き荒れたけど。
今さら心を揺らしたりしてはいけないんだ。


そう強く自戒しながら。あたしは全ての動揺を押し隠して、自分の仕事に戻っていた。










to be continued...
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