錆びつく森

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act.11

written by  のばら




20.





つくしが自分の手を離れてNYに行ってしまう…
自分が持ち込んだ話からこんな展開になってしまった事を
総二郎は今ではとても後悔していた。
そしてしばらく考えた後、手に握った携帯を見つめ深いため息をつくと
ゆっくりと司にダイアルをした。




時差なんかかまうもんか
どんなに司が不機嫌になろうとかまわない





そう思いながらダイアルしたのに予想に反して電話の向こうからは
まるで待っていたかのような落ち着いた司の声が聞こえてきた。




「総二郎か…」
「ああ、こんな時間にわりい…」
「いや、お前から連絡が来ると思ってた。牧野の事だろ?」
まだ何も言ってないのに司は俺が何故電話をしたのかわかっているようだった。
「ああそうだ。司、何で牧野をNYに?お前にはもう牧野は必要ないだろう?
 これ以上牧野を苦しめんなよ。」




総二郎は大きな声を出したいのをぐっと我慢しながら司に言った。
しかし司はその言葉を無視するかのように淡々と次の言葉を続けた。




「今の俺には牧野に関わる資格はない。でも少し状況が変わったんだ。
 実はロスマン氏がまた襲われた。幸いに命は取りとめたがな。」
「えっ、何だって?!そんな話聞いてないぞ。」
「外部には漏れないように押さえたからな。だから牧野をこっちに呼び寄せたんだ。」
「ってことは、今度は牧野が危険だと?」
「ああ。俺が例の件を色々と調べさせているのに気付いてむこうは焦ってんだろ。
 そういうヤツは何をする かわからないからな。」
「牧野もだけど、お前はもっと危ないだろ。」
「俺は大丈夫だ。SPもついてるしな。ただ…牧野が俺のために危険にさらされるのは
 ごめんだ。こっちに 来れば俺があいつの事を守ってやれる。だから牧野をこっちに
 呼んだんだ。ただあいつにはまだ何も知らせないで欲しい。俺が面倒を見ることが
 わかったらまたどこかへ消えかねないからな。」





確かに日本にいては牧野にSPをつけるわけにもいかない。
それに何より牧野自身がそんな事をするのを拒否するだろう。
かと言って自分がずっとつくしについているわけにはいかない。
やはりこの場合はあいつを司に托したほうがいいのか…





「わかった司。俺も牧野はそっちに行ったほうが安全だと思う。お前のところの警備は
 しっかりしてるからな。俺から牧野にそっちに行くように薦めてみる。お前との事が
 あるからあいつは迷ってるみたいだったしな。」
「悪いな、総二郎。類もイギリスだし頼めるのはお前しかいないんだ。」





司に牧野の事は俺に任せろと言うつもりだったのに、そんな話をする状況ではなくなっていた。



自分から手を離したくせに未だに司のことを忘れられない牧野。
そして牧野と別れてマリと結婚したのに何よりも牧野の事を心配する司。
その二人の強い想いがまた二人に同じ道を歩ませようとしているのか…



初めから俺の入る隙はないってことか…





さっきまでのつくしに対する気持ちも司と話していると
司の牧野への強い想いがしんしんと伝わってきて空気が抜けるように萎んでしまう。
それくらい司と牧野二人の想いは見えない形となって総二郎の想いを押し潰していた。




「でも司、牧野はお前に会うとまた苦しむぞ。それはわかってんだろうな?」
「ああ…それであいつが俺を憎んでもいい。俺はあいつが無事なら、あいつさえ元気で
 いてくれたら俺の事はどう思われたっていいんだ。俺はあいつにそう思われるだけの
 ことはしてるしな。」
そう言った司の声は暗く哀しく響き、その後は長い沈黙のみが残された。







21.





飛行機の小さい窓から果てしなく広がる雲海を眺めながら
つくしは今からのことを考えていた。
もうNY行きのジェットに乗っているのに、
心の中ではまだ向こうで司と会うことを恐れている自分がいた。
そんなつくしとは対照的に隣には一緒に辞令を出された技術者が数人、
これからのNYでの生活に胸を弾ませて興奮した声でワイワイと談笑していた。





「ねえ牧野さん、君はNYに行った事がある?」
その中の一人がつくしに話しかける。
「え?ええ…」
つくしが小さな声で答えると相手は
「じゃあ牧野さんに聞けばNYの事、色々と教えてもらえるね。」
と、ニコニコしながら言った。





つくしはその笑顔を見ながらNYで最後に司が言った言葉を思い出していた。





「解放してやるよ…」





その言葉のなんと冷たく切なかった事か…
今でもあの時のあいつの背中をはっきりと覚えている。

本当は開放なんかして欲しくなかった。
いつまでも、何があってもずっと手を離さないで欲しかった。



でもその手を最初に離したのは自分だった。
あの時、司の顔を見てそれを決めた。

それほどあいつの顔は苦渋に満ちていて
自信に満ちたいつものあいつらしさは微塵も感じられなかった。

ロスマン氏とあたしとの狭間で揺れ動いているあいつ。
その気持ちが痛いほどわかるだけに
そんなあいつを見ている事ができなかった。

あたしさえあいつの事を諦めたら全ては上手くいく。
そう思ってした事なのに
それはずっとあたしの胸の中の一番奥で深い傷となり残っている。

そのせいか今も司の幻影に惑わされている自分がいて
これからのNYでの生活に自信が持てなくなっているのがわかる。






つくしのあまりに思いつめた顔を見て隣の同僚が遠慮しながら声をかけた。
「ねえ牧野さん、顔色が悪いけど大丈夫?」
その声にはっと我に返り、また司のことを思っていた自分に気づいた。
「ええ、大丈夫です。なんだか飛行機って慣れないから緊張しちゃって…」
「ならいいけど…俺、ロスマン社の研究室に行くのすごく楽しみなんだよね。」
「そうですか。いい結果が出せるといいですね。」
つくしはそれだけ言うと会話から逃れるように眼を閉じた。






そして司への想いとは別に気になる事がもうひとつあった。
それはNYに行く事を迷っていた時に総二郎が言った言葉だった。



「牧野、俺はやっぱりお前はNYに行ったほうがいいと思う。司とのことはそりゃ
心配だろうけどこの前あった時も大丈夫だったろ?
それにあんな大きな会社で色々と吸収できたら牧野のステップアップにもなると思うし…
悪い話じゃないと思うぜ…」



相談した当初はNY行きに反対していた総二郎が
どうしてあんなに簡単に最初の言葉を撤回したのか、
つくしは頼りにしていた総二郎の真意をはかりかねていた。







22.





ロスマン会長の具合がやっと落ち着き、司とマリも通常の多忙な生活に戻っていた。



「司さん、これは?」
いつものようにSPに渡されたファイルを開こうとすると
「これはいいんだ。まだはっきりしていない箇所があるからまた今度見せる。」
司は慌てたようにそれをマリの手から取り上げた。



すぐに取り上げられたがそれでもマリにはそこに書いてあった数人の名前がちらっと見えていた。
そしてその中にあった牧野つくしという名前。
マリはその名前の人物が自分の夫である司が今も尚愛している女性だと言う事を知っていた。



優しいが仕事に関してはシビアだった父が全幅の信頼を置いていた司。
そんな司がどういう人物か知りたくて軽い気持ちで秘書に頼んで調べさせた。
その時にただ唯一出てきた近しい女性の名前。
牧野つくし。
その女性は司が将来の伴侶として選んだ女性だった。
その人とはそれまでも色々と紆余曲折があったようだがやっと認められ
結ばれようとした時にあの事故が起こった。



それを知りながらもロスマン社のために
事故で意識不明に陥っている父のために
それには極力触れないようにして司と結婚した。
司には悪いと思いながらあの時はその選択しかできなかった。



そして二人の間で交わされた契約。
しかし今ではマリは司の事を心の底から愛するようになっていた。
あの美しい容姿はともかく、仕事に対する判断力や決断力、頭の回転のよさ、嫌味にならない
小気味良い威圧感、そして自分をいつも気にかけてくれる優しさと包容力。
父がああいう状態にある今、頼りになるのは司だけだった。
そして今ではマリにとって司の存在は愛する父よりも更に大きくなっていた。



そんな司が自分の前でとった不自然な行動。
牧野つくしという名前を隠すために自分からファイルを奪ったという事実。
それはマリの嫉妬と言う感情に火をつけるのに充分だった。





「司さん、前から一度聞いておきたいと思っていたんですけど…」
マリがそう言うと司は不可解な顔をしてマリを見た。
「あなたが日本に残してきた女性……牧野つくしさんでしたわよね。」
その名前がマリの口から出たとたん司の表情が驚きで一杯になった。
「マリ、何でその事を知っている?」
「司さん、私がこれまで何も知らないと思っていらっしゃったの?さっきのファイルに
その人の名前があったけどどういう事かしら?ちゃんと説明していただける?」
マリの眼はいつもの優しい眼差しではなく静かだが激しい怒りを含んでいた。





この俺とした事が…
牧野を守るどころかマリまでも牧野の敵にしてしまった…
司はロスマン社の盗まれた微生物の事と牧野の身の安全で頭が一杯だったため
犯してしまったミスを後悔していた。
こうなったらマリに真実を話してわかってもらうしかない。
そう考えた司はゆっくりと話し始めた。





「マリ、隠してすまなかった。実は例の盗まれた微生物の検査をした会社に偶然
 牧野がいたんだ。前任者は辞めちまってるし今の担当があいつだったんだ。
 それでこっちに技術者と一緒にあいつを呼び寄せた。あの件について一番わかって
 いるのは牧野だからな。」



「本当にそれだけかしら?」
マリは司の説明を信じられないという態度で司の顔をじっと見つめた。
その目はまるで司の心の中までも焼き尽くしてしまうような激しさがあった。



しかしその視線に怯みもせず司はきっぱりと言った。
「隠していたから疑うのはわかるが今更あいつをこっちに呼んでどうこうするつもりはない。
あいつをこっちに呼んだのには、あいつの身を危険から守るというのも含まれている。」
「危険ですって?」
「ああ、俺はロスマン会長の事故も最初から会長が狙われたからだと考えている。
当時のロスマン社とビオラブ社の担当者も亡くなっているからな。偶然と言うには
あまりにもおかしすぎる。」
「お父様が最初から狙われてたですって?」
マリの声は驚きのあまり震えていた。
「俺はもうこれ以上被害者を増やしたくないんだ。」
そう言った司の瞳は鋭く光りこれだけは絶対に譲れないという意思の強さを語っていた。




「わかったわ。でも司さん、これだけは忘れないで。貴方と私は夫婦だということを…」
「ああ…わかってる。」
マリはそれだけ言うとSPを伴って部屋から出て行った。





自分の部屋に戻ってきたマリは、すぐに微生物に関するファイルを取り出し
もう一度熱心に読み始めた。
そして何を思いついたのか電話に手を伸ばし秘書を呼び出した。
「サム・ラスカン氏のプライベート用の連絡先をすぐに調べてちょうだい。
このことは司さんには内密にね。」
そう言ったマリの顔には嫉妬のために醜く歪んだ笑みが浮かんでいた。










to be continued...
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