錆びつく森

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act.14

written by  雪




29.



会いたいと思う時にはなかなか訪れない偶然が、
突然不意打ちのようにして訪れる運命の悪戯。



今はお互い、同じ会社に通う身の上なのだから
鉢合う偶然を生む確率だって自ずと高くなるのは当たり前の事。



だが、今の司にとっては、
このたかが偶然一つで気持ちを激しく乱されるから参っていた。






エレベーターの扉が開いて、急に目の前に現れたつくしの姿。



どんなに勢力を持った偉大な人間であっても、
大して臆する事をしない司が、唯一平静で居られなくなる女。



その女が、何の前触れも無くその場に現れる事。



それはまるで、忘却のかなたに追い去ったものを
不意に誰かに触れられてしまったかのような切なさがあった。







司は、真正面を見るようにしながらも
その実はしっかりと視界の隅にはつくしの姿を捉えていて、
そしてそのつくしは、ずっと俯いたまま顔を上げようとはしないで居る。



そんなつくしが、司の目にはとても冷静なように映り、
それなのに一人胸をざわつかせてる自分を司はつい恥じてしまう。



<たった一人の女ごときで、
何をこんなに戸惑ってるんだろうか、俺は・・・>






司はこの、動揺し切った感情を決して表には出してはいけないと、
両脇で強く拳を握り締め必死で堪えていた。



漸くの思いでこの狭い空間から解放された時の奇妙な安堵感、
そしてそれと同時に込み上げるのは、
何時までも心を縛って離れようとしない<未練>という黒い糸。




一体何時まで、こんな燻る思いを抱いていればいいのか・・・。




エレベーターを離れた司は、その途端鉛のような重い溜息を吐き、
己の背中に嫌でもつくしの存在を感じながら一歩一歩前へと歩き出していた。




だけど司は知らなかった。



そのつくしが、エレベーターの中で自分を思い泣いていた事を。




それに気づけば変わる何かを、司は知らずに離れて行く。













司の携帯が、突然煩く鳴り響いたのは
その足があと数歩で社屋を出ようとしたその時だった。



司がその携帯を耳に押し当てると、聞こえて来たのは類の声。



司は直ぐに、何か有力な情報を掴めたのだろうかと期待した。



しかし気になるのは秘書とSPとのこの近過ぎる距離。



出来れば今は、類との会話を聞かれたくない。



司は秘書の斉藤に、ほんの僅かの時間の猶予を与えてもらい、
足早に、エントランスの隅の方にある柱の陰に入り込んだ。







「類、あれから何か分かったか?」




司は逸る気持ちを抑え切れず、
類が何かを言う前に自らその話題に触れた。



反して、常に落ち着き払っている類は、
こんな時でも自分のペースは崩さない。





「あまり詳しいところまではまだ調べ切れてないけど、
でもちょっとだけ分かった事がある」




淡々とした物言いの類に、
「何が分かったんだ?教えろ」と苛立って先を催促する司。



類は構わずマイペースを貫いた。





「S社が研究所に試験や分析を委託した後のシステムなんだけど」



「おう」



「S社は基本的に、研究成果の報告を受けたら直ぐに重役会議を開いて、
進行中の複数のプロジェクトにその研究成果物が
如何に利用出来るかを議論するらしいんだ」




司はその時思った。



そこまでの話はロスマン社でもやっている事だ。
何ら珍しい事では無い。



司は一瞬がっかりする。



欲しい情報はそんな事じゃないのに・・・。



だが類が、「でも」と言葉を続けたので、
司は携帯を右耳から左耳に当て直し、話を聞いた。



類は言った。





「例外の時も多々あるらしい」



「例外?」



「そう」



「例外って何だ」





ここからが大事だと思うからか、
類の口調が幾分緩やかになる。






「研究成果が出ると、それを篩(ふるい)にかけて
利益に大きく結びつきそうなものとそうでないものに分けるらしいんだけど、
もしそれが、莫大な利益が見込めるものだと判断された場合、
その研究成果物に関しては重役会を通らず、突如閉鎖的な場所に運ばれるらしいんだ」




「閉鎖的な場所?」



「そう。機密用の特別な研究所があのS社にはあるらしい」



「って事は、その研究所に関われる人間も数少ないって事か?」




それに否定をしなかった類は、また新たな情報を司に伝えた。




「機密研究に関われるのは、
 社長と重役一人と研究員一人・・・その三人だけみたい」



「三人?」



「うん」



「じゃあ、その三人のうちの一人は
 当然サム・ラスカンになるよな?」





これは分かり切った事ではあったが、司は念の為に聞いた。





「そうだね」





類は電話の向こうで頷く。





「あとの二人は、誰なんだよ」





司は当然の疑問を口にしたが、その声は驚くほど掠れていた。



司は今、強烈な喉の渇きを感じていたのだ。



S社が発表した断熱塗料は、正当な形で開発された物では無い分、
下手すると自社内でもそれを疑い出す人間が出てくる可能性だってある。



犯罪を犯してしまった我が身の先行きを案ずるなら、
どうしたって不意な敵を作るのは避けたい筈だ。



だとすると、機密研究に関われる人間はきっと
自ずと、サム・ラスカンが信用する人間だけに絞られる筈。



それはつまり、この企業犯罪の一部始終を知る人間・・・。



その人間が誰なのかが分かれば、
直ぐに捕まえて一気に解決の道が開けるかもしれない・・・。



しかし、類が次に言った言葉は、
司の期待通りのものでは無かった。





「社長以外の二人もこれまた極秘で決めるらしいから
 社内で知る者は居ないらしんだ。だから俺も、
 その二人の名前まではどうしても調べがつかなかった」




「ごめん」と謝りながら、向こうもこの事に関しては、
神経質に幾つものバリアを張っているようだと話す類。



それを聞けば、司だって当然だろうとも思うのだが、
それにしても、どうしたって気落ちせずには居られない。



もう少し、役に立ちそうな情報はないのか・・・。




司が嘆きながら携帯を握り直した時、類はまた口を開いた。






「でもそのうちの一人は、
 半年前ぐらいから人が変わってるらしい」



「半年前に人が変わった?」



「うん。以前の重役が、
 丁度その頃に亡くなったって話だよ」






新しい情報が聞けたのは良かった。



良かったのだが、その情報は司を益々落胆させるだけだった。



半年前に機密研究に関わっていた重役が亡くなった・・・



それはつまり、断熱塗料の研究に関わってた人間が
一人、この世から居なくなってしまったという事だ。



どうか生きていて欲しいと願ったのに、
それが叶わなかった事に司は悔しさを覚える。



だが司には、その悔しさの傍らで、
どうしても『半年前』というキーワードが気になっていた。



半年前・・・。



類にはそれが誰であるかは分からないようだが、
もしかしたら、リン・ウエスト氏ではないのか?と司は気がついたのだ。



リン・ウエスト氏も、半年前に飛行機事故で亡くなっている。



サム・ラスカンの直ぐ近くで、
同時期に二人の人間が亡くなるなんて、普通だと考えにくい事だ。



やはり、機密研究に関わった三人のうちの一人が、
リン・ウエスト氏だったと考えた方が、この場合はとても自然な事のように司は思えた。



これで二人の実態が明らかになった。



残るは後一人・・・。



しかし、この一人は類にはまだ調べは全くついていないらしい。



ならばこれ以上類を追求したって意味は無く、
司はこの辺で一旦電話を切ろうとしていた。







ふと気になって、司が秘書の斉藤の様子を伺うと、
斉藤は頻繁に時計を見て焦っている様子だった。



自分に許された時間も限界に来ている・・・



そう思った司は、
「じゃあ、また何か分かったら連絡してくれ」
と急いで電話を切り、秘書の許へと戻った。



これからD社の代表取締役と、
打ち合わせを兼ねての食事が控えていた司。



その司を乗せて、車は約束の店がある、
コロンバス・サークル方面へと走り出す。



その途中で、司はまた、鳴った電話に出ていた。



電話を掛けてきた相手は、司に自分の名を名乗る。




「わたくしは、ロスマン会長の顧問弁護士をしている、
 ブラッド・リチャートというものです」




車はもう間もなく、約束の店へ辿り着こうとしていた。







30.





時計が今、夕方の一七時を差そうとする頃、
フランク・ロスマンの秘書を務めるジャック・マートスは
仕事の合間を縫ってマリの待つアパートメントへと訪れていた。



上質の革のソファに腰を掛けていたマリは、
マートスを見るなり口を開いた。




「サム・ラスカンのプライベート用の連絡先は調べてくれたのかしら」




マートスは頷きなら答える。




「はい、調べてまいりました」と。




マリは満足げに目を細め、
流石マートスだわと感心した。




「じゃあ、私にその連絡先を教えてちょうだい」




マリは笑みを作りながら優雅に足を組み変える。



しかし、マートスが突然、「その前に」と切り出したのだ。



今湛えたばかりのマリの笑みは、嘘のようにスっと消える。




「マリ様にお尋ねしたい事がございます」



「何かしら?」





返す声も心なしか硬い。



マートスは、それに気づきながらも言った。





「調べた連絡先を、一体マリ様はどうなさるおつもりなのですか?」と。





マリは、その質問には正直答えたくは無かった。



そのまま黙って渡してくれればいいのにと、マートスを憎らしくさえ思う。



しかし、今のマートスには、これだけは譲れないという、
何か言い知れない強い意志のようなものが感じられて、
それが、マリを悩ませた。



この場を誤魔化せるものなら誤魔化したいが、
その誤魔化しが勘の鋭いマートスに通じるだろうか・・・。



マリは結局諦めて、連絡先を調べさせた理由をマートスに話そうとした。



ただしその前に、これから言う事は決して他言しない事をマートスに約束させた。



特に司にだけは絶対に知られたくないと思うマリ。



マートスは約束すると強く頷いた。



マリは、それを確認して話し始める。



しかしまだ迷いが払拭出来てないせいか、話す口調も何処か重々しい。







「私は・・・今、司さんがやってる仕事の事で、
 一つだけ、とても気に入らない事があるの・・・」



「気に入らない事・・・それは何でしょうか?」



「今、道明寺財閥N.Y本部に
 牧野つくしという女性が居るわよね?」






マートスは返事を返さず黙ったが、
視線だけは決してマリから外そうとはしなかった。



マリにとってはその視線はとても重く、
どうしてもそれから逃げたくなったマリは、
マートスから距離を置く為に腰を上げて窓際の方へと歩き出した。





「私は、牧野つくしというその女性があまり好きじゃないの。
 何か、ロスマン社に悪い影響を与えるような気がして・・・。
 だから、その人にはどうしてもN.Y本部から出て行って貰いたいのよ。
 道明寺財閥にもロスマン社にも関わって欲しくないの」





窓際まで辿り着いた時、
外は雨が降っている事に気がついた。



なんて憂鬱な雨だろう・・・。





「でも、司さんは私の言う事を聞いてくれようとはしないし・・・
 牧野つくしを動かせるのはあの人だけなのに・・・」




窓に映るのは、醜く歪んだマリの顔。



マリはその歪んだ顔を見つめ、
敢えて自分に言い聞かせる様に思った。



これはきっと、雨に濡れた窓のせいね・・・きっとそう・・・。






「それで・・・サム・ラスカン氏から手を借りようと・・・
そういう訳ですか・・・」




マートスの声はまるで、マリの背中を刺すようだった。



マリの心は痛みを感じ、そして、
後ろめたい気持ちがザワザワと音を立て始める。



それでもマリは平静を装い、マートスを振り返った。





「さ、理由は話したわ。連絡先を渡して頂戴」




マートスがまだ納得出来てないのはマリにも伝わっていたが、
でも、理由は全部話したつもりだ。



あとはサム・ラスカンの連絡先を教えて貰うだけ。
それが済めば、もう今日はマートスには用は無い。




「何をしてるの?早く渡して頂戴」




ピクリとも動こうとしないマートスに、
マリはもう一度強い調子で言い放った。



だがマートスは、深い溜息の後に言ったのだ。





「申し訳ございませんが、そんな理由では
ラスカン氏の連絡先をお教えする事は出来ません」と、辛そうに目を伏せながら。




当然マリは、それでは納得しなかった。




「マートス、あなたは自分が何を言ってるのか分かってるの?」




マリはマートスを強く睨みながら声を荒げる。



それでもマートスは怯まず、
「何と言われましても、教える事は出来ません」と同じ言葉を繰り返すのみ。



マリは愕然としながら呟いた。





「何故・・・何故教えられないのよ・・・」





そして、今の目の前に居るマートスが信じられずに居た。



このマートスが、自分の父親である、
フランク・クロスマンに深い敬意を抱いている事をマリは昔から知っていた。



そのせいか、そのフランク・ロスマンが愛して止まない、
一人娘のマリの事も、常に気に掛けてくれていたのだ。



マリがたまにいう我侭でも、
何時だって聞き入れて居たマートス。



その朴訥な姿勢は決して崩そうとはしないが、
マリは、マートスの中にある優しさを無意識のうちに感じ取っていた。



それなのに、そのマートスがどういう訳か、
今日に限ってはマリの頼みを聞き入れようとはしないのだ。



一体何故?






マリは腹が立っていた。



こんな事は今までで初めての事だったせいか、
怒る事にしか感情の行き場所を見つけられないで居たのだ。



マートスは、険しくなったマリの表情を真っ直ぐに見つめてから、
「いいですか」と諭すような口ぶりで話し始めた。




「あなたのお父様をこの世から消し去ろうとした人間は、
サム・ラスカンの指示を受けてやったのかもしれないのですよ」




言われて、マリは泣きそうになった。



自分の父親が殺されかけた時のあの悲しみと恐怖。



あの時の事を思い出すと、今でも身を切られるように辛い。



それでもマリは、込み上げてくる涙を必死で堪える。





「もしそうじゃなかったとしても、元ロスマン社の社長であったラスカンが
 背任行為をしたのはもうほぼ確実な事のようです。
 だとすれば、ラスカンは云わば我々の敵。
 その敵に、たとえほんの僅かでも妙な関わり合いを持つ事、
 これは非常に危険を伴います。それが分かっていながら
 マリ様が行おうとする事に賛成する事なんて、私にはどうしたって出来ません」





マートスの表情は真剣そのものだった。



それでも素直に聞き入れる事が出来ないマリ。



ラスカンが敵である事なんて、
マリにだって分かり切って居た事だった。



だからこそ、牧野つくしをその敵の力で何とかして欲しいと思ったのだ。



自分なりに考えた限り、ラスカン側にとっても、
過去の犯罪を暴こうとする牧野つくしの存在はとても邪魔な存在の筈だ。



もちろん、ロスマン社の為を考えるならば、
なるべく早い解決を望まずには居られないけれど、
だからと言って、何故そこに牧野つくしが
関わって来なければならないのかとマリは思うのだ。



はっきり言ってロスマン社は、
あんな女に調査を頼まなければならない程微力な会社では無い。




『ロスマン』という名を出せば、そして『道明寺』という名を出せば、
牧野つくしなんかに頼らず、もっと優秀な人材を呼び出せる筈。



それは司だって十二分に気づいてる筈なのに、
それなのに司は、牧野つくしをわざわざNYへ呼び寄せた。
そして司の目に届く、とても近い場所であの女を働かせている。



それは何故かと考えた時、
やはりマリの心中には嫉妬という苦しい感情が込み上げてきて、
自分ではどうする事も出来なくなってしまうのだ。



当然司は、マリが思ってる理由など口にはしないし、認めようともしない。
が、それでもマリは嫌でも気づく。



司はまだ、牧野つくしを愛している・・・。



そんな事、始めは認めたくはなかったけれど、
どうしたって見えてしまう司の本音は
マリの胸の内を疑念の思いで一杯にし、
認めざるを得ないところまで執拗に追い詰めてくる。



マリは、だったら認めようと思った。



認めた上で、牧野つくしを何処かへ追いやってしまおうと思った。



しかし、味方は皆司の言いなりで、
マリの思いを聞いてくれる人間など誰一人として居なかった。



だから、敵であるラスカンを利用しようと思ったのに・・・。






「マリ様、あなたは賢い方です」




マートスは静かに声を掛けた。




「そんなあなたが、一時的な感情で
 自分を不幸に追いやるような事をしてはいけない。
 もう少し冷静にならなければ、何時か必ず後悔しますよ」





まるで全てを見通してるかのような口を利くマートス。



マリは悔しくて仕方が無かった。



<私の苦しみなど分からないくせに・・・>





マリにも、由緒あるロスマン家の娘としてのプライドがある。



こんな秘書ごときに、言われるがままになんてなりたくは無い。





「もう分かったわ・・・。私が幾ら何を言っても、
 あなたは何一つ役には立たない。そう言う事なのね・・・」





マートスにはきつい言葉だった。



それでもマートスは言い返す事もせず、
「申し訳ございません」と謝るだけ。





「だったら帰って頂戴・・・」



「マリ様・・・」



「あなたの顔を見るととても不愉快だわ!!帰って!!」






マートスがこの部屋を立ち去った時、
マリはこのやりきれない気持ちをぶつける様に、
側にあった置時計をドアに投げつけた。



床に散らばるガラスの破片。



荒れていくマリの心。



マリは肩で息をしながら、窓の外の空を睨んだ。



まだ雨は降り止まない。



マリにはこの雨が、永遠に止まないような気がしていた。



そんな筈は無いのに、どうしてそう思うのだろうか。



原因は・・・牧野つくしに決まっている・・・。



マリは今、はっきりと確信する。



牧野つくしが司の側に居る限り、
どうしたって自分の幸せは無いのだと。



司が自分を思わない限り、
この雨は、永遠に止む事は無いのだと。



マリが悲痛な思いに駆られるほど、
嫌味のように大きくなっていく牧野つくしの存在。



マリはどうしてもその存在を消したかった。



マリはあの暗い空に誓う。





<自分を苦しめ続ける牧野つくしの存在は・・・



私の見えないところへ・・・>









一時間後、マリは自分の車で
道明寺財閥のN.Y本部前に訪れていた。



理由は、ここで働くつくしに会う為だ。



つくしがまだ、この会社を出ていない事はマリには分かっていた。



マリは、目の前のN.Y本部に電話を掛け、
つくしが居る部署に繋げて貰った。



数分後、つくし本人が電話に出ると、マリは努めて悲しい表情を作った。



これからつくしに告げる作り話を、よりリアルにする為に。







「私は、マリ・ロスマンと言います」





この名前を言うだけで、つくしの様子が変わったのを、
マリはその姿を見なくとも、敏感に感付く事が出来た。



だがマリは、それには気づかないフリをし、流暢な日本語で続けた。





「今あなたが居るN.Y本部の前に居るんですけど、
 ちょっと出てきては貰えないかしら・・・」





昔父親の勧めで日本語を学んで良かったと、マリは今、心から思う。



つくしは今言った事を聞き返す事も無く、
電話の向こうで困惑の色を示していた。





「でも・・・私は自由な行動を許されてないんです・・・」





それはマリも知っている事だった。



だからつくしにそう言われても焦る事はしない。



マリは変わらず、自分が決めたシナリオ通りの事を進める。





「つくしさん?」



「はい・・・」



「これはまだ表に公表していない事なんだけど、
 つい数時間前、急に司さんが倒れて病院に運ばれたの・・・」



「え・・・本当ですか?」



「えぇ・・・」






声を聞く限りでは、
マリの言う事を全く疑ってない様子のつくし。



マリは、あともう少しだと携帯を持つ手に力を込めた。




「意識はちゃんとあるんだけど、でも・・・
 病院に着いてからずっと・・・
 あなたの名前ばかり呼んで、苦しそうにうなされているのよ・・・」





そこで涙声になるマリ。



頬を空いた左手で触れば、本当に涙が一筋伝っていた。






「私だってあの人の妻だもの・・・。
 あなたの名前を呼び続ける司さんなんて見たくはないし・・・
 あなたと司さんを会わせる事も本当は嫌なの・・・。
 でも、あのままじゃ司さんが可哀想で・・・」





女の涙は都合のいいように出来ている。



悲しくなくても泣ける女。



自分の幸せを守る為ならば、本物のようにして泣ける女。



マリはとにかく泣いた。



そして必死に懇願した。







「だからお願い・・・あなたの力で・・・司さんを助けて・・・」



「でも・・・」



「私じゃどうする事も出来ないの・・・。
 悔しいけど、司さんを助ける事が出来ないの。
 だから・・・お願い・・・」







数分後、思いつくままに芝居を打って、
やっとの思いでマリの許に駆けて来たつくし。



マリの言う事が全て嘘などとは知らず、
純粋な優しさを持つつくしは完全にマリの事を信じ、
そして今病院に居るという司を心から心配していた。



つくしを助手席に乗せて、マリの車は走り出す。



横を見れば、本当に、今しがたまで泣いていたように真っ赤な目をしているマリ。



憔悴した雰囲気まで漂わせている。






「ごめんなさいね。今泣いちゃったばかりだから
 メイクが崩れちゃって、だから酷い顔してるでしょ?」





つくしの視線に気づいたマリは、
自分の視線は前方に向けたまま照れた笑みを零した。



そんなマリに、女性としての可愛らしさを感じたつくしは、
やはりこの時も、何の疑いも持たずに、



「いえ、そんな事ないですよ」
と、優しく、そして明るさまで添えたような笑顔をマリに向けたのだった。



マリはその笑顔を、嫌いだと心から思った。



マリは自ずと気がついたのだ。



司はきっと、この女のこの笑顔に惚れたのだろう。



だからマリは、その笑顔を嫌いだと感じた。



自分には出来ない、その笑顔を・・・。








もう直ぐで十字路に差し掛かろうとする頃
マリは左ウィンカーを点滅させ、直後、車体を静かに左折させていった。




一体この車は何処へ向かおうとしているのか・・・




それは、マリ一人だけが知っている未来・・・。










to be continued...
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