錆びつく森

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act.15

written by  雪




31.


つくしがマリと電話で話していた丁度その頃、
司は、N.Yのとある場所にある、会員制クラブに訪れていた。



この会員制クラブは、歴代大統領とその血縁者、
大企業のトップや政財界、そして様々なジャンルの
世界的権威達だけがメンバーになる事を許されている、
米国一名の通ったクラブである。




道明寺財閥の総帥である司も、
もちろん、このクラブのメンバーであり、
司の向かいに座っている一人の男、
法曹界の権威である、ブラッド・リチャート弁護士もまた、
同じく、このクラブのメンバーだった。




白髪交じりの髪をきっちりと後ろに撫で付けた、如何にも神経質そうなその男。




一見、しがないただの中年男のようにも見えるが、
その実は、数々の難事件を解明した実績を持つ、
政財界、そして警察のトップにも顔が利く、誰もが認める敏腕弁護士。



司は、この弁護士とはまだ一度も面識は無かったが、
名前だけはよく耳にはしていた人物だ。




ただ、ロスマン氏の顧問弁護士である事だけはつい先刻知った事実だったが。






数時間前・・・





「私の事務所の方に来て頂く事を考えたのですが、
 あなたと私がそこで接触してるのをもし他の誰かに見られた場合、
 危険に晒される可能性もあるだろうと思いましてね・・・」




そんな、不穏を含ませた言葉でこのクラブに呼び出された司。




確かに、このクラブはセキュリティー面では
その辺りのホテルやアパートメントよりは確固としていて、
今二人が居る、この個室に入るのでも
他人には絶対に目撃されないような配慮がなされてある。




それを考えると、この場所を
リチャート弁護士が選んだのは極めて賢明な事だと司も思った。




しかしそれにしても、
『危険に晒される可能性がある』という言葉が引っ掛かる司。




そんな事を言われてしまっては、
どうしたってこの弁護士に期待せずには居られない。




この弁護士は、何か、大事な情報でも掴んだのだろうか・・・。





「緊急を要するので、必ず来て頂きたい」
と言ったその言葉にも、司は気に掛かって落ち着かなかった。





「早速ですが」




言ったリチャート弁護士は、
アタッシェケースから数枚の書類を出してきた。




それに目を落としながら、彼はおもむろに話し始める。




だが始めは、今日類が司に話していた内容ばかりだった為、
彼が機密用の研究所の事を言い出したところで、
「それは既に知っています」と司は話し半ばに遮った。




短慮の司にとっては、こういう無駄な時間が耐え切れないのだ。




リチャート弁護士は司を無表情で見つめ、
「では、何処まで知ってらっしゃるのですか?」と問いかけた。




司は早口で答える。




機密研究に関われる人間が三人に限られていて、
その三人のうちの一人が半年前に亡くなったというところまで知っている、と。





「そうですか・・・」





リチャート弁護士は司に数回頷いた。




そして、「では」と一旦言葉を切り、
今度は書類の二枚目に目を奔らせながら話し始めた。




「その亡くなったという重役ですが、名前はリン・ウエスト。
 半年前に飛行機事故に巻き込まれたそうです」




司はその時、やっぱりかと溜息を落とした。




そしてそれと同時に、
ここまで調べ上げてるリチャート弁護士に対し、
この期待感が益々膨らんでいくのはどうしたって止められなかった。




もしかしたら、類にも調べがつかなかった事が
今明らかになるかもしれない。




例えば、三人目の人物とか・・・




司の背中には妙な緊張が奔った。




それを知ってか知らずか、
リチャート弁護士は、まさしくその三人目の人物に触れ出したのだ。





「この三人目の研究員は、S社で偽名を使ってたんです。
 ニルス・バーグという名前を」




「ニルス・バーグ・・・」






それは司には聞きなじみの無い名前だった。




リチャート弁護士は司に一瞥を投げ、
この名前に関して反応が無い事を確認すると、
再び書類に目を落としながら続けた。





「偽名を使ってたおかげで、
 こちらも調べるのにかなり時間が掛かったんですがね、
 それでも色々と手を下して調査を進めた結果、
 この男の本名が明らかになったのです」





司は黙って、その名前が口に出されるのを待った。




リチャート弁護士は言った。





「ロバート・ウェルズ。
 S社では研究員という肩書きを持ってますが、本職は・・・医者です」




「医者?」




「はい」






司は、信じられないと思った。




医者という職業をしながら、研究員の肩書きも持つなんて、
そんな事が果たして出来るものなのだろうか。




しかし、リチャート弁護士の目には自信が溢れている。




然も自分の調査には抜かりはないと言いたげに・・・。




その証拠に、彼は司に、ある新聞の切抜きのコピーを手渡した。




日付を見れば二十年程前の古い記事。




彼は、司がまだその記事の内容に目を通す前に話し始める。





「ロバート・ウェルズというその男は、
 若い時から研究好きな人間だったようでしてね、
 驚く事に僅か十八という若さで、
 商品の大量生産に結びつく画期的な染料を発明したのですよ」





司がその記事を見直すと、
紙面にはその染料の名前とロバート・ウェルズの名前が大きく書かれてあり、
そして弱冠十八歳で快挙を成し遂げた、というような内容の文章が書き立てられていた。



この記事を読むと、例え本職が医者であっても
同時に研究も出来なくも無いかと思い始めた司。



しかし、この記事には、
将来有望な化学者が誕生したと書いてあるが、
一体何故そこまで言われた男が医者になったのか・・・。



その疑問を解決してくれるようにリチャート弁護士は言った。




「この男はその当時、医者では無く化学者を目指していたそうです。
 しかし父親が医者だったという事で、その夢を諦めざるを得なかったようです」




司は直ぐに納得し、そして思った。




そんな男が、こうしてまた研究に携わっていたという事は、
きっと、その研究の方にまだ未練があったのではないだろうかと・・・。



そんな時に出会ってしまったサム・ラスカン。




リチャート弁護士は言う。





「この男は昔っから気が小さく、それでいて聡明な男だったと言います。
 だとすると、サム・ラスカン氏から研究に誘われた時にも
 もしかしたら、ラスカン氏が犯罪に手を染めた人間だとは知らず
 協力をしたのでは無いでしょうか。そしてこの研究の胡散臭さにも
 いち早く気づいてしまった。しかし、その時にはもう後には引けないところまで来ていて・・・」





そこまで言い掛けた時、、
何故か司は妙な高揚を感じ、リチャート弁護士を見返した。



何か、ずっと視界をぼやけさせていた靄が
少しずつ晴れていくようなこの感覚・・・。



もしかしたら・・・




もしかしたらこのロバート・ウェルズという男は、
ビオラブ社の業務担当を殺害し、そして
ロスマン氏を殺害しようとした医者と同一人物なのではないのか?



もうラスカンから逃げられないと悟ったウェルズは、
あとはラスカンの言うがままに犯罪を重ねるしかなかった・・・。




司は、馬鹿にされるのを覚悟でその推測を彼に話すと、
彼は、「私も、そう推測しております」と厳しい表情を見せ、
「だから緊急を要するのです」と付け加えた。




「何故緊急を要するのですか?」






司は聞いた。




彼は答える。






「ロバート・ウェルズの手によって、
 ビオラブ社の業務担当が亡き者になった時、
 きっとラスカンはよくやったと彼を褒め称えたと思いますよ。
 この男は使えると・・・」





リチャート弁護士は、ここで一度、
手にあった書類をアタッシェケースに片付けてから、また話し出した。



膝の上でガサガサ音を立てていたのがどうにも気になったらしい。



それだけで、この弁護士が異常に神経質な性格である事が窺える。






「しかし、その手口でロスマン氏を殺害しようとした時には敢え無く失敗した。
 ラスカンにとって、一番この世から消し去りたいと思うのは恐らくロスマン氏でしょう。
 それなのにその狙いは叶わず、そればかりか自分に疑いが掛かる可能性が
 もっと色濃くなってしまった。彼の失敗は多分、
 ラスカンに悪い印象を与えてしまったのではないかと私は推測します」





リチャート弁護士の話を聞くうちに、
司の背中には嫌な汗が滲み出ていた。



リチャート弁護士ははっきりとは言わないが、
司には、ロバート・ウェルズの命が危ないと聞こえたような気がしたからだ。



そして次に言った彼の言葉は、司を益々不安にさせた。





「これは今朝入った情報なのですが、
 ウェルズが急に一週間の休養を取ったようです」




「一週間の休養?」




「はい。どうもカナダへ旅行に行くようなのですが、
 そのカナダには、敷地は狭いようですがラスカン氏の別荘があるんですよ」




「ラスカンも行くんですか?」




「いや、今のところは移動する予定は無いようですが、
 しかしあの男の事です。表ではそう見せかけてるだけかもしれません」






次の瞬間、司は携帯で、
SPをカナダに観光客として送り込めと指示を出していた。




<たった一人の生き証人をみすみす殺させて堪るか・・・>




司はその思いで一杯だった。




<この俺を敵に回した事を、ラスカンに必ず後悔させなければ・・・>





リチャート弁護士は、
素早く指示を出した司を満足げに見つめていた。




「流石道明寺司ですな」




「いや・・・」






司は、突然煽てのような事を言われて戸惑っていた。




リチャート弁護士はそんな司に何度も頷き、
そして突然、独り言のようにして語り始めた。





「私はね、ラスカンのような人間がどうにも好かないのですよ」





司はそれに何と返して言いのか分からなかったが、
どうも彼は相槌などは求めていないようだったので、
ならば、ただ聞く事だけに専念しようと思った。




「ロスマンが住む世界、つまりは
あなたが住む世界というのは非常に厳しい世界なんです」



「・・・・・・」




「新たな技術が実用化されるまでには、企業と研究者は、
『死の谷』と呼ばれる過酷な年月を乗り越えなければなりません。
漸くそれを乗り越えたと思っても、今度は『ダーウィンの海』という市場競争が待っています。
この谷と海を乗り越えなければ、どんなに努力をしても
この世界の人間は日の目を見る事が出来ない」




リチャート弁護士は、そこで一度天井を見上げた。



しかしそれはほんの一瞬の事で、再び俯いた彼は、




「しかしそんな過酷な道でも、敢えて歩み出そうとするのが
人の美学なんですよ・・・。それなのに・・・」



やりきれないという感情を押し出しながら呟いた。




「ラスカンのやった事は、その美学に反していてとても醜い・・・」




そう言って、うんざりとしたように首を振るリチャート弁護士。






そのリチャート弁護士との別れ際、彼は司に言った。





「必ずロスマン氏に息を吹き返して貰いましょう」と。





司は今更ながら分かった。




ロスマン氏が、あの弁護士を自分の顧問弁護士に選んだその理由を・・・。









司がクラブを出た時は、外はすっかり日が落ちていた。



それでもまだ、司にはやるべき仕事が残っている。



その仕事を片付ける為、司はこれからN.Y本部に戻ろうとしていた。



そんな矢先、またも司の携帯がけたたましく鳴り響いた。



司は、「今日はよく鳴るな」と溜息混じりにぼやきながら
通話ボタンを押した。



それから数秒後、司は顔色を青ざめさせながら呟いていた。






「牧野が・・・居なくなっただと?」










to be continued...
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