錆びつく森

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act.18

written by  鳥




38.





夏の太陽が燦々と照りつける。
けれど木々たちは緑深き葉をもっと陽の光を受けようと更に空に向かって
一枚一枚広げ、その木々の影は、青々とした芝生に黒を落としていた。
緑と黒のコントラストを織り成す病院の中庭では、名もわからぬ野鳥たちが
何羽もおり、餌か何かをついばむ仕草をしてはまたとことこっと歩いている。

そんな風景を時折風に揺らめくカーテンの窓際から見下ろしていた男が一人。

腕を組み、大きな出窓の壁にもたれかかりながら、外の眩しい陽の光に目を
細めつつ立っていた司。

その面立ちは以前とは違い、心労がピークに差し掛かっているのか、
頬もこけ生気もない様子だ。





いつになったら目を覚ます?


医者の言うことを信じるのであれば大丈夫なはずなのに、


なのにどうしておまえは目を覚まさないんだ。


―――― なあ、牧野…。





その心労の元をちらりと見やると、静かに規則正しい息遣いをしているのが
見える。

周りの心配を他所に、ベッドに横たわる続ける女 ―――― 牧野つくし。

そんなつくしの白く細い腕には、点滴の針を何度も打ち変えた青い痣が数箇所
残っており、白に青は目立ちすぎて余計痛々しかった。

それでも生きていてくれたのだと思うと、安堵する司。


あの事件からすぐ手術室に運ばれその後はICUにいたつくし。

あの頃のつくしは青ざめた生気のない顔に酸素マスクに点滴、
心電図モニター機器のピッピッピッと鳴る音。

つくしの腹部から流れる真っ赤な血。それを必死に止めようと押さえていた
司の手や服にもベットリと血が付いていたことも、手術後ベッドに死神に
取り憑かれたように青ざめ横たわるつくしの様も、司を奈落の底に
突き落とすには十分であった。

このまま死神の誘いに乗って死の世界へと旅立ってしまうのではないかという
恐怖に苛まれた司だった。

あの恐ろしい出来事から一ヶ月経ってようやくつくしの体が快方に向かって
いることをドクターの口から聞けてホッとした司だったが、それからさらに
一ヶ月経ってもつくしの意識は覚めることなく、こんこんと眠り姫のように
眠り続けていた。


窓辺に立っていた司だったが、またつくしのベッド横の椅子へと腰を下ろす。

つくしの生きている証である温もりを感じていたいが為に、そっと手を握った
その時だった。

つくしの瞼がピクピクッと微かな動きを見せる。


「!牧野っ、牧野っ?」


司の必死の呼びかけに反応したのか、何度も瞼をぴくりとさせてからそろそろと
瞼を開けると、ぼんやりとした焦点の合わない瞳を見せたつくし。


「牧野っ、わかるかっ、俺が?」


つくしの目覚めたばかりのぼんやりとした意識をこちらに向けさせようと、優しく握って
いた手にぎゅっと力を込めた司。


「……みょう……じ…?」


ゆっくりだが顔だけ横に向けると、聞こえるか聞こえないかの僅かだが
か細い声を出したつくし。

司にとってはほとんど聞き取れない声だったのだが、口の形が自分の名を呼んで
くれたのだとわかって、思わずつくしの握っていた手を自分の口元に寄せて、
そっとつくしの手の甲に口唇を落としたのだった。



瞼を伏せて、まるで神に感謝の祈りを捧げるように ――――。



「…良かった、あんたが無事で……」


そんな司の様子をぼんやりと見つめていたつくしだったが、少しだけ頬を緩ませ
笑みを浮かべるとそっと呟く。

そしてまた安心したかのようにゆっくりと瞼を閉じてしまったつくしだった。


「おいっ、牧野っ!?」







39.





あの後、すぐさま緊急ボタンを押して、ドクターを呼びつけた司。


ベッドの周りを覆うカーテンの向こうでドクターが診察しているであろう様子を、
中は見えなくとも司は遠巻きで見つめながら心配そうな面持ちでいたその時、
ドアを控えめにノックする音がして、するするっと扉が開く。


「や、司君」


「あ、会長…」


顔を出したのは言わずと知れたロスマン会長であった。


「何かあったのかね、彼女に」


コツッコツッと杖の音を静かに響かせながら訪れた会長は、司の不安そうな表情と
つくしのベッド周辺がカーテンで遮られているのを見て、会長の表情にも
不安の影が落ちる。


「先程意識を取り戻しかけたのですが…」と話し始めた司の言葉に耳を傾けた
会長だった。


「そうか…」


つくしの様子を司から聞いて少しは安堵したものの、司と同様会長も不安が
拭えずにいた。


ようやくドクターの診察も終わりを告げ、カーテンがざっという音と共に開かれる。


「これなら大丈夫でしょう。かなり意識レベルも上がってきていますから、
 もうすぐ目覚められると思いますよ」


「でもさっきヘンなこと口走って…」


不安を払拭できずにいる司はつくしを見やりながら、ドクターに問いかける。


「多分まだ昏睡状態から目覚めたばかりの時は、意識の混濁症状は
 よく見られますからね。それでは」


医者特有のスマイルを浮かべてそう言うと軽く礼をしながら病室を後にした
ドクターだった。

そんなドクターにお礼を言うと、会長にも椅子を勧めて自分も椅子に
腰を下ろした司。


「…牧野…」


また眠りについてしまったつくしの手をそっと両手で優しく握ると、今度こそ
早くしっかり目を覚ましてくれと願うように呟く。


「今日はもしかしたら君にとってダブルで良いことが起きる日かもしれんな」


そんな司の様子とつくしの様子を傍目で気遣いながらも、静かな声で
話しかけた会長。


ロスマン会長の言葉に反応して何かと思いながら顔を振り向かせた司。

そんな会長の顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。


「君の肩の荷をやっと一つ降ろすことが出来たよ。
 今までありがとう、司君。しかし君のような優秀な息子を失うことが、
 私は残念でならんがね」


「それじゃあ…」


司の目が少し見開き、心の重荷だったものの内一つがすーっと溶けていくように、
顔の頬が少しだけ緩んだのが窺える。


「ああ、本日付けでマリとの離婚が正式に受理されたよ。
 悪かったね、今まで時間がかかってしまって」


あのつくしが撃たれた事件の後、つくしの容態も安定せず、司の心身は
痛めつけられた。

その上、司法に委ねたとは言え、やっと意識を取り戻し回復し始めたロスマン会長を
気遣い、背任行為及び殺人教唆・殺人未遂で逮捕されたサム・ラスカンとその
悪魔に魂を売ってしまったロバート・ウェルズたちが起こした事件の事後処理に
翻弄された。
毎日つくしがいる病室と会社を幾度なく往復する日々は、司に更なる重圧を
課していた。

そんな司を労わるようにではないが、マリーとの結婚の経緯、理由。
そしてマリーにとっても司にとっても、とても幸せとは言い難い、どう見ても
不幸にしか見えない結婚に異論を唱えたロスマン会長。

司自身まだ言い出す時期ではないと言い出せずにいたのだったが、
ロスマン会長が敢えて切り出してくれたことに、内心喜びを覚えた司だった。

だが、マリーの胸中は司とは全く裏腹で複雑且つ揺らいでいた。

確かに静の暴挙は、鏡に映る自分自身であるかのように思え、
おぞましかったマリー。

けれど、あと3年は心は自分に無くとも司が傍にいてくれるのだと安堵して
いたのもまた事実。

それがマリーの決心を鈍らせた。



悲しきは、女心…。



父親の進言とは言え、なかなか離婚届にサインできずに何度もペンを持ち
離婚届をじっと見つめてはまたため息を吐きながらペンを机の上に
置くということを繰り返していたマリーだった。


けれど、父親が偶然出会った少女、そして大変恩義を感じていた少女。
そしてその少女がよもや司の想い人の牧野つくしだと分かった時、
マリーの心に決定打を与えた。



もうこれ以上無駄な時間を過ごしてはならぬと…。



マリーの司への静かな訣別が呼び起こすように、
本当の覚醒の為にと、つくしの瞼がもう一度かすかに動き始める ――――。










to be continued...
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