錆びつく森

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act.21

written by  鳥




44.





寒さが厳しくなった年の瀬の頃、TVのニュースでは「大寒波が押し寄せてきて
おりますので、年末の帰省には十分気をつけて…」とアナウンサーが話していた。

そんなニュースをぼんやり見ながら、マンションの部屋で久しぶりの休日を
楽しむかのようにゴロンと寝転がっていたつくしの元に一本の電話が入る。


面倒くさそうに立ち上がり電話に出てみれば、いきなり英語が飛び出てきて
「えっ、はいっ」と驚きつつ素っ頓狂な声を上げたつくし。

電話をかけた主は、ロスマン会長本人であった。

「悪かったね、いきなり電話をしてしまって。実は極秘で昨日からこちらに
来ているんだ。せっかくだから積もる話もあるし、是非つくしといつかの約束を
果たそうと思ってね」とのことであった。


びっくりしていたものだから、ついつい言われるがままに「はあ」と何度も頷いて
受話器を下ろした後、ハッと我に返ったつくし。


「えっ、今から〜〜〜!?」


つくししかいない部屋に虚しく声が響き木霊する。

その後ばたばたしながら大慌てで、着替え始めて薄化粧を施し始めたつくしだった。





「いや、久しぶりにつくしに会えて嬉しいよ」


「いえ、こちらこそ何の挨拶もなしで帰ってしまって、本当にごめんなさい」


「いやいや、それは仕方がないだろう。つくしだって大変な目に遭って
 しまった時だったんだから、気にしなくても大丈夫だよ」


朗らかに人懐っこそうな笑顔を浮かべるロスマン会長に反して、申し訳なさそうに
頭を下げて謝っていたつくし。


あの後、電話で言っていたとおり、小一時間もしないうちにロスマン会長と
秘書とSPを従え乗せたリムジンがつくしのマンションに迎えに来て、
「約束のランチを果たしましょう」とそのまま連れて行かれたのだった。

連れていかれて入ったはいいけれど、どう見ても高級老舗料亭。

そして「一見さんお断り」と書いてありそうなまるで政界や各界の著名人しか
入れなさそうな店構えに、さすがのつくしも思わず躊躇したのだったが、
後ろにいる秘書とSPに後押しされ、おずおずと足を踏み入れた。

こんな格好で来ちゃったよ、あたしと青ざめながら、自分の選んだ服が
全く持ってこの高級老舗料亭と釣り合っていないことに落胆しつつ、
店の中の廊下をすごすごと歩いていけば、いつしか庭の横の回廊になっていて、
その一番奥の離れのような一室に通されたロスマン会長一行とつくしであった。



「いやあ、日本は良いねえ。この風情、やはり日本ならではだ」


掘り炬燵ごたつで足元は暖かくなっており、横を振り向けば格子の障子窓、
その障子を上げれば、全面ガラス窓となって、寒い時でも外の立派な
日本庭園を眺め楽しめるようになっている。


お猪口を手に持ち、ちびちびっと日本酒を嗜みながら、居並ぶ日本料理に
舌鼓を打っていたロスマン会長。

それに釣られてではないが、ロスマン会長に何度も箸を勧められ、ようやく
つくしも少しずつだが口にし始めたのだった。


「つくし、体調の方はもう大丈夫なのかい?」


「ええ、もう全然元気です」


ガッツポーズをして元気さをアピールしたつくしに、ロスマン会長もほっと
した様な嬉しそうな表情を浮かべる。


「そういうおじさんこそ…じゃなかったロスマン会長こそお加減は
 大丈夫なんですか?」


「ふっ、私をみくびっちゃ困るよ。おかげでもう杖無しだよ。」


ばっと両手を広げてゼスチャーするロスマン会長に、「あ、ほんとだ」と
先程まであまりにも自分が場違いな所にいることに緊張し過ぎてすっかり
自分も見失っていたが、周りも全然見えていなかったのだと気付くつくし。


「あ、つくし。つくしにとって私はただのおじさんだからね。わざわざ名前を
 呼び変える必要はないから」


「えっ、でも」


「私が良いって言ったら、いいんだよ、OK?」


パチンと軽くウインクを飛ばされ、ようやくキャッチボールしたおじさんなんだなと
思えて、ようやく緊張もほぐれ少し落ち着いてきたつくしだった。





「つくし、今日は君との約束を果たしたいと思っていたのも事実なんだが
 渡したいものがあってね」


そう言うと、秘書が黒いスーツケースからすっとなにやら取り出すと、
ロスマン会長にさっと渡す。

その一連の動きを見つつ、あれ?と感じて、首を傾げたつくし。


「おじさんの秘書の方って、確かマートスさんじゃ?」


けれどロスマン会長の傍に控える秘書と思われる人物は、見たことない
男性であった。


「ああ、そのことも一緒に説明するから待ってておくれ」と言うと、すっと
つくしの前に出されたのは白い封筒。


大きな瞳をくるりとさせきょとんとした面持ちのまま、差し出された白い封筒と
ロスマン会長の顔を交互に見つめたつくし。


「いいから、開けてごらん」


ロスマン会長に促され、おずおずと白い封筒を手に取り、そっと封を開ければ、
出てきたのは『invitation』と書かれたカードと飛行機のチケットだった。


「あのこれって…」


不思議そうにロスマン会長の顔を見つめると、にっこり微笑んだロスマン会長。


「実はまだオフレコだが、年明け早々の取締役会で君も会ったことがあると
 思うが私の秘書をずっとやってくれていたジャック・マートスをロスマン社
 新社長として推薦しようと思っているんだよ」


「え、じゃあ」とつくしの頬が緩む。


「ああ、司くんはそれを機に社長職を退任する。彼には今まで迷惑ばっかり
 かけてしまったが、彼の後釜に成り得るのはマートスしかいないんでね」


「そう…ですか…」


ちょっとほっとしたような安堵したつくしの表情には、司の肩にかかっていた
重責がまた一つ軽くなって本当に良かったなというのが心底表れていた。


「今度の取締役会で承認を受ければというか、ほぼ決定事項だから大丈夫
 なんだが、その承認を受けた後、一月末に新社長お披露目兼前社長の
 功績を称えるパーティーを開こうと思っているんだが、是非つくしも
 招待したいなと思ってね」


前社長の功績と聞いた瞬間、イコール司も当然出席するわけだしと思うと
気が重くなり、顔を曇らせ俯いたつくし。

それにロスマン家のパーティーである以上、一人娘のマリーも当然出席して
然りの立場である。

そのマリーがあたしを見れば以前の様子からも気分を害するのは見えている、
そう思ってしまうと、こんな自分がおめおめと顔を出して良い訳がないと
判断してしまったつくし。


「おじさん、ご招待して下さって嬉しいのですけど、でもあたしなんかが
 出席するパーティーじゃないので…」


そう言うと、招待状のカードと飛行機のチケットを封筒に入れ直し、もう一度
すーっと机の上を滑らせロスマン会長に返したつくしであった。







45.





Oh!と大袈裟に両手を広げて、残念そうな素振りを見せたロスマン会長。

返されてしまった白い封筒には手を出さず、そのまま横目で見遣ると、
お猪口を手に持つが、中味が空っぽなのに気付いて徳利に手を伸ばしかける。

「あっ、ごめんなさい、気が回らなくって」と慌てて徳利を取ると、
お酌するつくしだった。


「すまないね」


つくしのお酌してくれた日本酒を口につけると、満足したかのように
少しの間静かな時が流れて、ゆったり穏やかに流れ進む日常では
なかなか楽しめない時を味わっていたロスマン会長だったが、
静かに口を割り始める。


「…一つ聞きたかったんだが、あの事件の当事者である藤堂 静という
 女性を何故許したんだい?」


「…」


つくしは問いかけには答えることも出来なくて、ただ口唇を噛みしめ
俯いてしまっていた。


「司くんに聞いたが、どうやら君たち共通の友人であるとは教えてくれたが、
 彼も思うところがあるのか、それ以上は難しい顔をして押し黙ってしまったよ」


「そうですか…」



司の心中も静のことでは、大きな影を落とされ苦しんでいるのであろうなと
推察するつくし。

小さい頃から慕い遊んできた幼友達だからこそ、当然と言って然りだろう…。


「ただちょっと気になっただけだ。司くんもなにやら落ち込んでいる様子だったし、
 だからついつい尋ねてみたのだが…。
 言いにくければ無理に話すことでもないし、うん、このことは忘れてくれ」


自分の不用意且つ不躾な質問を取り消すと、詫びるロスマン会長だった。





この人だったら…





そんな風に思えたつくしは、ふいに閉ざしていた口を開く。



「おじさんは、人を信用していますか?」と… ――――。





つくしはこの事件について、自分自身釈然としない割り切れない思いがあって
というのを少しずつだが、紡ぎ始めた。


自分自身そんなつもりは全くなかったどころか、尊敬し憧れの念を抱き続けて
きたからこそ、静と同じ法学の道を選んだというのに。

嫌われるようなことはしていないつもりだったけれど、誰に対しても良い顔して
いたつもりもなかったけれど、そんな風に見られ忌み嫌われていたことを思うと、
自分でも気付かない内に、偽善という仮面を被ってただ善人面して傲慢な
自分に成り下がっていたのか?

それとも元々そういう資質を持った自分だったのか ――――?


それらは自分自身最も忌み嫌う人間性であったはずなのに、 ――― そういう
人間にだけはなりたくないと、常々正直に真っ直ぐ生きてきたつもりだったのに、
自分の存在によって、結局は他人を傷つけ狂気の道に走らせてしまったのは、
自分自身の存在が悪だったこと以外他ならないのではないのかと……。


自分自身に対する人間性も疑わしいものだが、結局人間なんていう
生き物は全て憎悪や嫌悪を笑顔という仮面の下に隠して、心の中では
毒吐き嘲笑っているのではないか、そんな風に思えてならないと諸々の
苦しい我が胸の内を吐露したつくし。


そして、周囲の懇願に押され流された形となってしまって、結局表沙汰に
せず、不問に付すことにしてしまった自分自身をどこかで許せないと思う
もう一人の自分がいることも。


法学を学ぶようになってから、常々思うことは加害者を守るものではなく、
被害者を守る法であって欲しいと心底願い続けていたつくしだからこそであった。



人間不信に陥り、全てを見失ってしまったつくしを悲しい瞳で見つめながら、
つくしの苦しい思いを時折頷きながら静かに聞いていたロスマン会長。


「つくしの苦しみが良くわかったよ。
 確かに、人間とは勝手な生き物だからね」


「なんか、いろいろ考えてたら、余計わからなくなっちゃって…。
 考えても考えても永久に答えなんて出ないってわかっているのに…」


自分のこんがらってしまった頭の中を刺激するように髪の毛に手を差し込み
くしゃくしゃっと掻き毟ったつくし。


「つくし、私に教えてくれたあの『魔法の言葉』覚えてるかい?」


「え、ええ」と頷くつくしを嬉しそうに見ながら、一口喉を潤おすようにお茶を
飲んだロスマン会長は話し始める。



他人や自分も嫌いになりたくないと思っているのであれば、まず勇気が
要ることだろうが、何はともあれ相手を信じなくては無理じゃなかろうかと。


あとは『魔法の言葉』を使って、その人を知ろうと理解しようと努力
すれば良いだけだと。


そうすれば嫌いにならず、信じていくことが出来るだろう ――――と。



「つくし、物事の本質を見極めるのは大変なことかもしれない。
 けれどとても難しく見えるものでも、違った角度から見ると存外
 シンプルであったりもするんだ、世の中は」


そう言って、格子窓から見える景色の方へ振り向いたロスマン会長。


「つくし、見てごらん、雪がいつの間にか降っているよ」


いつの間にかちらほらと空から落ちてくる真綿のような雪は、この日本庭園を
格別のものにしようと薄っすらと白化粧を施し始めていた。


「きれい…」


内に燻り続け鬱積したものから逃れるように、部屋から見える景色に
うっとりと心奪われるつくし。


「これも一緒だよ、つくし。
 この庭園だって、四季を通じていろんな表情を見せて我々を楽しませてくれる。
 冬は雪景色、春は桜、夏は緑濃い葉に煌く太陽、そして秋は紅葉だ。
 でも、元は一つの庭園じゃないか」


ロスマン会長の言葉が、つくしの心にじわりじわり染み込んで、いつの間にか
はらはらと涙が零れ落ち、頬を伝う。


対面に座っていたロスマン会長は、立ち上がりつくしの傍に行くと軽く抱きながら、
娘のマリーにもしてやるようにポンポンと背中を軽くさすりながら慰める。


「つくし、これだけは良く覚えておいて欲しい。
 思っていても行動に移さなければ、それは何も思っていないことと
 同じになってしまうということを」


「おじさん…」


止まらない涙をとめどめなく流しつつもロスマン会長を見上げたつくし。


「なあに、君なら大丈夫だ。なんたって私に『魔法の言葉』を
 教えてくれた素晴らしい子なんだから、ねっ」


つくしの背中に置かれているロスマン会長の手の温もりがつくしにも伝わってくる。

それと同時につくしの中にもようやく勇気が芽生えてきたのか、ある決心を
したのだった。





静と類に会いに行こうと。



誰もが解る言葉で伝えよう ―――― と。










to be continued...
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